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日記超。-改・弐-

  : 

自転車だったりマラソンだったりトライアスロンだったりお酒だったり。

2023Jun18Sun

【日帰り出張?】金沢21世紀美術館他【観光旅行?】 

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今回ものすごく気に入った展示
イ・ブル『出現』
影の感じが気に入って何枚も撮った

<2023/06/14>
日帰りで金沢に行って参りました。ええ、もちろんお仕事ですが何か。

水曜日の朝、4時過ぎに起床して5時過ぎに自宅を出た。ブルベでもないのにこんな行動を強いられるとは。金沢駅東口ロータリーで9時半待ち合わせだったものの新幹線運行ダイヤの都合で8時半には金沢に到着する便を利用しないと間に合わない。仕方がないので押さえた東京発金沢行き始発のかがやきに乗り込み移動。自宅を出なければならないタイミングと被ってしまった落合選手RAAMスタートをライブで見られなかったので、駅で購入した弁当をつつきつつ車内で録画を観た。
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録画を観終わって、書きかけだった【鬼怒川600】の走行記録エントリをUPしたりしていたら8時半ごろ金沢に到着。
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数年ぶりの金沢駅

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日本人はなぜ水たまりに小銭を投げ入れたがるのか

マックでコーヒーを飲みつつのんびり待ち合わせ時刻まで。時間になって上司、同僚と合流し、客先に移動して、この出張の本題である打ち合わせ。

この間しばしお仕事

お仕事が終了して金沢駅前に戻ったのが正午ちょっと前。一緒に打ち合わせに参加した全員が四国に行くだの新潟に行くだの名古屋に行くだのとその後の行動がバラバラなのでわたしも単独行動。

帰りの新幹線は、状況次第で前倒しに変更すれば良いと念のために遅めにした18時ちょい前発のかがやきだったので約6時間の余裕がある。ということで今まで機会が無かった金沢21世紀美術館を見学してみることにしてバスに盛り込む。
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ローカルICしか使えないのは『地方のバスあるある』

まずはしいのき迎賓館(旧石川県庁庁舎)
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正面玄関前の一対のしいのき

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ここも当然初めて

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ステキな階段を行ったり来たりしたw

美術館に行く前に腹ごしらえ。しいのき迎賓館内の飲食店はお値段があまりにもアレだったので諦め道路向かいに見つけたお店へ、金沢なのでやっぱりカレーを。
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金澤ななほしカレー

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金澤ななほしカレーセット+アイスコーヒー
←チキン と 週替わりA(豚と筍)→

いよいよ初訪問となる金沢21世紀美術館へ。
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ファサード
円形のプランなので基本的にどこから見ても大差はない。

入館料を支払って入館。忘れずに『スイミングプール』の入場予約も済ませた。
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という訳でコレクション展

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リジア・クラーク『つながりあうパターン』
解説(前略)アルミニウムの板を組み合わせて、蝶番によって動くようになっており、鑑賞者は自由に動かして様々な形を生み出すlことができます。(後略)
注意書き「作品に手を触れないでください。」
なぜなのか。

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ジョセフ・コスース『北極グマとトラは一緒に戦うことはできない』
はあ、そうですかとしか。

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ペドロ・レイエス
『人々の国際連合 武装解除時計』
『武装解除 武器類の楽器』


15分ごとに自動演奏が始まる

冒頭に記した通り、なぜか猛烈に気に入った展示、展示室4『幽霊の形、形の幽霊』
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イ・ブル『出現』

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イ・ブル『モンスター・ドローイング』

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←青木克代『予知夢ⅩⅩⅩⅡ』
樫木知子『タイルの部屋』→


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中川幸夫『聖なる書』

最後は『泣き笑いの知性』と題された展示室6
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小西紀行『無題』
この子のキーホルダーを買ってしまった。

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フェデリコ・エレロ
←『崩れた顔』・ベルマの仮面→
いや、正直きしょい。。。

次いで映像芸術家 アレックス・ダ・コルタの『新鮮な地獄』
ええっと、正直なところわたしの肌に合わない展示でした。ひと通り見て回ったけれど良さがあんまりわからなかったのでわたしの感性が鈍いのか嗜好のベクトルが違うのか。
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『新鮮な地獄』展入り口

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なんか、もう、シュール過ぎてわからん

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まだこういうものの方が理解できる

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う~~~む。
という実験的映像作品の数々

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『最後の一葉』
これは唯一気に入った

展示コーナーを出て館内をうろうろ。
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館内あれこれ

入館した時点で予約しておいた『レアンドロのプール(スイミングプール)』へ。約1.5時間待ちだったのでひと通りざっくり展示を見て回るには丁度良い時間だった。
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肉眼だともうちょい輪郭がゆらゆら見える

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パラパラ降って来たのでなかなか面白い眺めになった
プールは人気展示のため「5分で帰ってこい。」ということで、悠長に構図とか考えていられなかったので撮影するのもなかなか大変だったりした。

その後はのんびり館内の常設展示なんぞを眺めて回る。コレクション展と企画展の方は半券があれば再入場可能だったものの15時近くなって急に人が増えて来たので結局行かずじまい。
うろうろ回っていたら、奈良美智のコーナーがあった。御殿山の原美術館が閉館となってしまったので久し振りに目にした展示。とはいえ原美術館の展示品とは比較にならないほど密度が低い。とはいえ原美術館の方は狭い空間にあれこれ詰まっていたので中央のわんこを目にしてさすがにこのサイズを置けるところはそうそうないよなとは思った。
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どちらかというと展示よりもアクティビティ重視のようだった

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こちらも常設展示(なのかな?)
『マテリアルな感じ』がステキな展示だった

館外へ出て周囲をひとまわり。日本家屋(松濤庵)が目に入ったのでそちらへ。※なぜか松濤庵の建屋自体は撮り忘れてた。
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山宇亭(茶室)と庭

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山宇亭奥の腰掛け待合と待合からの眺め
腰を下ろして茶室に入る順番待ちをした小屋だそうで

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関守石(せきもりいし)が置かれた通路
門扉が開いていたとしても『ここは通行することまかりならん』ということを示す石。黒縄で締めるのが通例。『通行止めという文言を記した札等を掲げるのは無粋なのでこの石を置くから察しろ!』という文化は既にほぼ失われてしまっているよなあ。実際わたしも知らなくてその場にいたボランティアのおじさんに「各所に置かれた縄を巻かれた石ってなんですか?」と尋ねたら、「よくぞ訊いてくれた!」と言わんばかりにニコニコと熱い解説をしてくださった。歴史的施設にいるボランティアの方に対しては(こんなの聞くのってどうよ?)と思えるようなことでも問うてみると色々質問以外の話も教えてくれるのでありがたい。

松濤亭を後にしてなおも美術館周りをのんびり流す。
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紫陽花が見頃でした

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美術館周囲にはステンレス製のオブジェがあれこれ

そこそこ堪能したので駅に引き返して軽く(?)お酒を飲むことに。
スーツで出張してきたので足元は革靴で歩きづらいし荷物が普段より重たいのであんまりうろうろする気にもなれずといったところ。

駅ビルモール内、加賀おでんのお店が営業していたのでそちらで発車時刻まで時間を潰すことに。
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日本酒飲み比べセット
日本酒三種とじゃこ、いぶりがっこチーズのアテが付く

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若干足りなかったので追加
加賀ノ月(一合)とおでんは大根、たまご

お酒を飲んでいたらあっという間に時間が溶けてしまったのでお店を辞去し、新幹線車内で飲食するものを調達。後ほど知ることになったけれど、わたしが予約したかがやきは車内販売があったのでそんなに慌てて調達する必要はなかったなあ、と。
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ビールとアナゴ寿司&能登牛濁り

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ビールがアッという間に終わったけれど。。。
この子も長野で力尽きたw

長野から先は、酒類と一緒に購入しておいたお茶のペットボトルをちびちび飲みつつ21世紀美術館のスーベニアショップで購入した文庫本を読みつつ寝落ち。

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なかなか豪華な執筆陣である
とはいえこの文庫のために執筆した訳ではなく、様々なところで時期もバラバラに発表されたもの。それでも執筆陣をみればわかる通り概ね昭和の中期頃までのものなので時代背景等を考慮するとそういうこともあったのだろうなと思ったりもするけれど、それを差し引いても個人的には大佛次郎の掌編にドン引きした。

そんなこんなで終点の東京まで。そして新幹線乗車前、車中と結構いい具合の酒量だったので寄り道せずにまっすぐ帰宅して出張業務は無事終了。




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タグ: 金沢  観光  金沢21世紀美術館  しいのき迎賓館 
2023May25Thu

【登別温泉】ウポポイ(民族共生象徴空間)訪問記(2022/04/02)【一泊二日】 

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既に一年以上経過してしまった
ウポポイ(民族共生象徴空間)訪問時の記録
コロナ禍で来場者少な目だったのかな
思いの外のんびり回れたと感じた記憶がある

一泊二日でウポポイを見学してから登別温泉に宿泊した時の記録前半。後半は既に登別地獄谷散策】・登別クマ牧場の2エントリをUPしていたもののこのウポポイ(民族共生象徴空間)の記録はデッドリンクのままにしてあった。当時はいろいろ細かく書く気があったのだろうけれど、いい加減覚えていないので画像を並べてわかる範囲でキャプションを付けてみる
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入り口付近の湿地

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入り口通路を抜ける

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体験交流ホール
伝統芸能上演があったけれど撮影不可

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国立アイヌ民族博物館ファサード、エントランス

以下、展示物いろいろ
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可愛い

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じっくり解説まで読み込むと丸いち日くらいかかる

一旦博物館を出て(再入館可能だったはず、この時は再入館しなかった)エントランス棟のレストランへ。
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焚火ダイニング・カフェ ハルランナ

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眺めの良い窓際のカウンター席

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運転があるのでノンアル

エゾシカのグリルのセットを注文
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パンとスープ

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エゾシカのグリル

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食後のコーヒー

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博物館外観

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ポロト湖

伝統的コタンへ
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大型のチセは中に上がれるようになっていてムックリの実演や伝統、文化の解説などを見学できる。音色が気に入って帰りに勢いでムックリを買って帰ったのだけれど一年経過した今でも未開封である。そうやってモノが増えていくんだよな。。。
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こちらは撮影OK

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イナウ(祭具)
木の棒を薄く削る、キャンプに使うフェザースティックと同じような作り方をする。

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保存食の乾燥団子

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クチャ(狩小屋)

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ブロニスワフ・ビウスツキ胸像
アイヌと極東先住民に関しての研究を白老で行ったポーランド人学者

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樽前山の頂がちょこっと見える
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体験学習映像(アニメーション)を観る

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ポロト湖南側の流れ込み

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ここからも樽前山

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シラサギが一羽

ウポポイを後にして予約した登別温泉の宿に向かう。
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網元感動市場かに御殿のクマを眺めつつ移動

少々時間に余裕があるので脇に逸れて虎杖浜と登別港の間になるアヨロ海岸に降りてみた。
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アヨロ海岸

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カムイエカシ チャシ
『カムイ』=神、『エカシ』=お年寄り、『チャシ』=砦という意味なので『カムイエカシ チャシ』というのは(神様みたいな)偉い長老が住んでいた砦という意味になるらしい。今ではオヨロ鼻灯台が建てられている。

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オヨロ海岸を見下ろす

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オヨロ鼻灯台とその下からの眺め

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飛行機雲とトンビ

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予約した宿は登別万世閣
浴場が広々としていて、源泉をチラーで冷やした低温の水風呂があったりして非常に気に入った。夕食付プランにしたけれど、いわゆる伊東園ホテルみたいな感じのブッフェスタイルだったので特に画像を残していない。

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部屋に戻って一杯

冒頭で降れた通り翌日は朝から散歩したり登別クマ牧場に行ってみたり。




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タグ: ウポポイ  民族共生象徴空間  ポロト湖  アイヌ  コタン 
2023May23Tue

【オトナの社会科見学】再びの島松駅逓所【宮大工の技巧】 

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ひと通りの説明の後いただいた
『赤毛』と呼ばれる稲穂と
駅逓所に関連した歴史の小冊子

関連エントリ⇒その壱その弐その参
※その壱ではほとんど触れてないw

四年前チコリンさんに連れて行っていただいた際には特に詳細な記録も残さずさらっと流してしまっただけだったので改めて記録に残してみる。

ブルべ明け、宿舎に帰着したのが7時8時過ぎ。午前中はブルべ中撮影した画像の整理をしたりダイジェスト版のブログエントリをUPしたりで過ごし、午後になって長期で借りているレンタカーのタイヤ交換の為に千歳空港近くのレンタカー営業所に立ち寄る用事があったのでついでにどこかに出かけたかったのだけれど、朝からひたすら降り続いている雨のお陰でどこに行くにも気分が乗らず、取り敢えず業務に必要なものを調達しに大曲のホームセンター経由で宿舎に戻ろうとした途中、四年前に訪問して以来島松の駅逓所に行けていなかったことを思い出した。正確には二回ほど訪問したけれどどちらも閉鎖期間中。

そんな訳で見学可能なタイミングで訪れたのは四年振り。
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ちゃんと入り口が開いている

入館料(大人¥200)を支払うと入場チケット半券とリーフレットをいただける。「簡単ですが案内をしましょうか?」受付のおじさんにそう問われて「ぜひお願いします!」と返す。四年前に一度聞いただけであれもこれも覚えている訳がない。因みに案内してくれたおじさんは四年前にチコリンさんと訪れた際にも説明をして下さった職員さんである。
順路に従って細かくあれこれ説明していただく。記憶に残っている四年前のそれよりも時間が長く密度の高い話だったように思えたけれどその記憶自体がアテにならんからなあ。。。

ガイドさんの説明はまずこの駅逓所を営んでいた中山翁についての説明から。
元は大阪の出身で紆余曲折の後島松に居を構え、寒冷地での稲作について試行錯誤を繰り返してついには稲作に成功し、北海道各地に自分が育てた種籾を無償で配布して北海道における稲作の基礎を築くことになった方。札幌に農業指導に来ていたクラーク博士らには「北海道は稲作不適合地だから水稲栽培は諦めて麦の栽培を進めるべき。」と言われながらも頑なに稲作にこだわった。

入り口を入ってすぐ、旅人が休憩する広間。
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利用する旅人はここに上がって寛いだ

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広間に隣接したこの駅逓所主人の中山翁とその家族が使用した部屋

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廊下の様子

明治天皇の行幸の際の行在所(あんざいしょ)として利用してもらうために増築した部屋の復元の際、『特別な間』としての意味を持たせるために畳に高麗縁を施した。
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京都御所にもこの文様の畳縁があるのだとか

「中山翁は洒落っ気のある人で、こういうところに遊び心を発揮していたんですよ。」とガイド氏
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ウサギを模した釘隠し

天皇陛下と随伴の宮様を迎え入れる為に増築した部屋の釘隠しは趣向が異なり
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天皇陛下が使う部屋には鏡を模したもの

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宮様が使う部屋の釘隠しは真雁を模したもの
が、それぞれ施されている。

天皇陛下行幸の為に増築された部分の便所
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左が男子用、右が男女兼用
当然ながら衛生陶器なんぞない時代なので基本的にすべてが木製。男女兼用の便器の手前にある棒は手を置くためのものではなく、和服の裾を持ち上げて用を足すためのもの。

ひと通り案内をしていただいた後は自由にあちこちを見て回れる。
ひとりで見て回りあれこれ撮影した後に、建物の改修工事を担当した宮大工が主に使う柱材の仕口色々のサンプルをいじってためつすがめつ。
この辺の接手、仕口に関しては学生時代に習ったはずだけれどそんなもの日常的に目にしていなければ四半世紀も覚えている訳がない。という訳でサンプルをいじらせていただいた。

こういうのは動画で残した方が面白いのだろうけれど、とにかくない物ねだりをしても仕方がない。
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四方蟻継
前後左右に押しても引いてもびくともしなかったらまさかの斜めスライドだった。

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箱継ぎ
これはシンプルでわかりやすい。さりとて作れるか?と問われたら否。一ヶ月くらい時間があっていくらでも材料を無駄にして良いならあるいは。

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包み十字目違い
これも一見シンプルながらかなり難しい。

鉄釘の代わりに竹のくさびを用いた仕口二種。どちらも計算されつくした断面で、竹くさびを差し込むとびくともしなくなる。
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隠金輪継ぎ(かくしかなわつぎ)

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尻挟み継ぎ

案内がひと通り終わったところで「折角だからこれ持って行って。」といただいた稲穂と歴史小冊子
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島松で栽培された稲の品種『赤毛』の稲穂と小冊子二つ

なんだかんだと一時間半近く滞在して表に出る。
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クラーク博士が帰国時に通った道
坂道を下って来て、駅逓所前で待ち構えていた教え子や関係者と最後の別れの挨拶を交わし、有名な『Boys be ambitious』という言葉を残した。この言葉には続きがあって『…like this old man』というもので、この『old man』というのがクラーク博士自身を指すのかその場にいて親交のあった中山翁を指すのかは不明なのですと。

朝から雨降りだったし200kmとはいえブルべ明けだったのでまったり過ごしつつリフレッシュできたのでなかなか有意義ないち日でした。







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タグ: 島松駅逓所  宮大工  仕口 
2023May23Tue

【ドリルといふもの】オトナの社会科見学 #06【それは男のロマン】 

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建物に入って真っ先に視界に飛び込んで来た削岩機
このドリルが上下左右うねうね動いて石炭の壁を崩す


立坑見学終了時に係員さんから「この先は一応自由参加になるので途中抜けても参加しなくても自由ですが皆さんご参加ということで良いですか?」との問い。さすがに途中離脱する人はおらず皆さんしっかり後半も参加。
ガイドさんの車の後を追って、各自の車で立坑櫓の数百メートル西にある『自走枠整備工場(跡)』へ。『自走枠』って字面も響きも既にヤヴァい。心の琴線に触れまくる。

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浪漫を感じさせる字面である

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大型削岩機
入り口入ってすぐにこれがあって思いっきりわくわくしたw

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ドリルでゴリゴリ削って落ちた石炭を下の爪が搔き集める

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チェーンコンベアで後方のコンベア車に集積される
この機械は傾斜した炭層では活躍出来ないので赤平のような傾斜炭層の炭鉱では活躍の場が限られてしまい、最終的には人力頼りになってしまうのだとか。

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機械は三井三池製

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後方の車輛からチェーンコンベアで更に後方に排出される

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状況確認の計器盤類

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細かく前後に移動するので操縦席は横向き

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バッテリー式トロッコ

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自走枠と削岩機(ドラムカッター)のセット

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この画像だと左の方に進んで行く
ドラムカッターの円形の歯が回転しながら上下左右に動いて壁面を削り、落盤を防ぐ為に自走枠が覆いかぶさる。掘り進むにつれて自走枠の足もとが尺取り虫のように縮んで伸びてを繰り返して掘り進んで行く。

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水平に使用して水道管敷設に利用したこともあるのですと

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変わった形状のバケット、アームが回転するバックホウ

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石炭を掬い上げて後方の炭車に積み込む

重機類は基本的に電動で、ケーブルは断線の無いよう頑丈な被覆を施されたもの、内部はショートサーキットによるスパークが発生しないよう入念に検討された結線を施されている。空気中に可燃性粒子である炭塵が浮遊していたり、メタンガスが発生したりするので間違っても内燃機関は使えないし、電気的な火花も即爆発火災事故に繋がってしまう。
その為坑内は散水されていて湿度が高く、深度が深くなると岩盤発熱で気温が上がるので常時ミストサウナの中にいるような状態だったそうである。
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こちらは圧搾空気で稼働する削岩機

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各種石炭のサンプルも置いてある
基本、メタセコイアが炭化した者なので見た目以上に軽い。

ひと通り回った後、雑談めいた質問タイム。
当時の炭鉱夫の経済状況は、額面給与こそ一般水準とほぼ変わらなかったものの住居や電気ガス水道のインフラ利用、風呂に至るまで基本無料なので実質的に一般労働者よりもかなり実入りは良かったそうである。まあ、盛大に散財する人も多かったそうだけれど。

救護班の活動に関してもいくつか。
救護班装備に関しては国内の炭鉱は基本的に共通となっていて、大規模災害発生時には相互扶助可能なようになっていたとか、救護班の服装は静電気の発生抑制の為全て木綿製品、救護に向かう際にはさらに念を入れて全身に水を被ってから入坑するとか。近年夕張炭鉱で発生した爆発事故に関しての話とか。爆発火災発生時には最悪の場合坑道を水没させて完全に鎮火させてから水を抜く。夕張は観光転用が困難なほどあちこちめちゃくちゃになってしまっているらしい。そして爆発火災の発生原因に関してはガイドさんには心当たりがあるものの詳細な検証は大人の事情で行われそうにないという裏話めいたことも。

ひと通りの説明を終えて時間が許す限り好きに撮影して回って良いということなのであちこちじっくり撮ってからガイドさんにお礼を言って撤収。

しばらく前まで降っていた雪も落ち着いた様子なので折角だから会談が777段ある『日本一のズリ山』に登ってみることに。
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九州ではボタ山北海道ではズリ山と呼ぶ

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赤間炭鉱選炭場跡

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777段の取っ掛かり

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頂上の展望広場から

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先ほどまでいた立坑櫓が見える

階段を降り始めたら再び雪が舞い散り始め、日が暮れて一気に冷え込んで来たのでそそくさと撤収。往路と同様道央自動車道を南下して札幌へ。
車を駐車場に停めてから大通公園の札幌ホワイトイルミネーションに向かって炭鉱遺産見学は終了。


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タグ: 観光  赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設  赤平炭鉱 
2023May23Tue

【ある意味】オトナの社会科見学 #05【鉄分補給】 

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石炭積載トロッコ用の軌道が描く
なまめかしい曲線
当時はこの軌道上を炭車が往来していた

立坑櫓建屋、トロッコ操車場に足を踏み入れるとまず視界に飛び込んで来たのはトロッコのレール。建屋内の気温は-2℃。

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都合6線の軌道が二つにまとまる
※作業員運搬用トロッコ引き込み線を勘定に入れたら8線(11/30 追記)
立坑を上下するケージが四つあってその各々に炭車が乗るのでケージから出て来るラインが四つ、石炭を積んだ炭車が軌道端部のストッパーにぶつかり跳ね返されて大外のラインで立坑の向こう側にある石炭回収エリアに走って行き、空荷になった炭車が再びケージに入るので立坑の反対側にも同じようにケージに向かう4線と立坑の外側を通る2線がある。
(※当たり前のように断言しているものの、ガイドさんの説明をメモも取らずに聞いただけのあやふやな記憶に基づく記述なのでもしかしたら思いっきり的外れかも知れないので以後も割り引いてお読みいただきますよう。)

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これが石炭を積んだ炭車を跳ね返す

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こちらは人員運搬用のトロッコ車輛
ガイド役のボランティアスタッフさんは元従業員(炭鉱夫)で救護班所属経験もあるというベテランさん。

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満載の炭車は画面奥の方で石炭を回収され空車になって戻る

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立坑櫓を見上げる

2階部分の立坑ケージ管理区域に登る。
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ケージの昇降は『ケーペ方式』で運用されていた
ドイツで開発された方式でひと組のワイヤーに二つのケージが取り付けられていて片方が地上に上がる時もう片方が底部にあるという『井戸のつるべ方式』上昇・下降速度は最大12m/s、現代の一般的なマンションで30~60m/minなので秒速に直せば0.5~1m/sだということを考えると恐ろしく速い。
将来的な拡張を見込んで設計上1,000mの深度まで対応可能な性能を誇っていたものの、最終的にはその半分ほどの深さまでしか活用されなかった。
「それでも立坑ケージでの事故は閉山するまで一度も無かったんですよ。」ガイドさんが誇らしげにそう語った。


ケーペ方式のワイヤーの回転軸となる直径5mを越えるドラム(滑車)。
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大型のワイヤードラムとブレーキ
摩擦力で制動する仕組みは自動車や自転車のブレーキと同じ原理。

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この規模の鉄塊を高い精度で加工するのはやはり造船技術

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ブレーキ調整用のアホみたいなサイズのナットとスパナ
さすがに手で扱えないのでハンマーでひっぱたいて使ったのだとか。比較的小さなスパナでもわたしが普段扱うサイズを優に超える。

立坑ケージの制御室。
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カレンダーは閉山された平成六年のものが残されている

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制御エリアの天井走行クレーン

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こちらは巻き上げモーター

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制御室フロアから1階部分を眺める

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いずこの職場も同じような感じである

当時の労働環境から社会情勢に至るまで、カイドさんの話の内容は多岐にわたる。為替の固定相場制から変動相場制への移行に伴って輸入炭と国産炭の価格差が開くようになり、露天掘りの輸入炭と比較して地下坑道から掘り出す国産炭とでは価格が三倍にも開くことになり、集約による規模拡大策により生産性が高まったものの単に延命措置にしかならず、価格競争力はじわじわ失われて行き最終的には国産炭鉱全面閉山ということになったといういきさつ。

実は建前上『本邦の炭鉱は全て閉山された』とされているものの釧路コールマインという炭鉱は今でも稼働していて年200万tほど算出しているが、あくまでも『研修施設』という位置付けなので炭鉱としてはカウントされていないという裏事情も。この辺は商業捕鯨と調査捕鯨の相違みたいなニュアンスの差というか言葉の綾があるような感じ。

再び階下に。
ツアーガイドさんに「ゆっくり写真撮って回って良いですよ~。」と言われたので厚かましくお言葉に甘える。
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魅惑の曲線と切替ポイント

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最後にひと通り全体を撮らせていただいた

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立坑櫓トロッコ操車場見学終了
これにて見学ツアー前半戦終了となるので一旦センター建物内に戻り、ヘルメットの返却。
後半は各自の車で数百メートル離れた『自走枠整備工場(跡)』へと移動する。



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タグ: 炭鉱  赤平炭鉱  トロッコ  産業遺跡  観光 
2023May23Tue

【小雪舞い散る】オトナの社会科見学 #04【炭鉱遺産へ】 

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赤平炭鉱立坑櫓

関連エントリ⇒札幌散歩記録

朝の大通公園をひと通り散策してホテル近傍に帰着、まずはレンタカーを一旦返却して新規に入れ替えねばならん。実は日曜日の晩に新千歳空港に到着した際、何故かレンタカーが予約できていなかったという事実が発覚してしまい。急遽どうにか空いていた一台を回してもらったら商用車のハイエースバンであったというオチ。走行予定距離自体はそれほど大したことも無かったし、ハイエースバンにはなかなか深い思い入れがあったりする(⇒思い出深いエピソード:その1その2ので乗り心地もまあ我慢できるからそのままでも良かったけれど、23日の朝なら普通乗用車(コンパクトカー)への切り替えが可能だということだったので入れ替えることにしたのであった。
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ハイエースバンからフィットへのメタモルフォーゼw

レンタカー営業所の駐車場から今日の目的地である赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設へ確認の電話を入れる。確認内容は午前午後の二回催されるガイドツアーの予約可否。予約可とのことだったので13時30分からの午後の部を申し込み、千歳ICから高速に乗ってひたすら北上。
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道央自動車道岩見沢SAのばんえい競馬像

軽く吹雪いている中、正午過ぎ頃目的地に到着。
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小雪舞い散る中の立坑櫓

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赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設

連絡先の記載等入館手続きを済ませたもののガイダンス施設には飲食できる設備が無い(飲料自販機はある)ので赤平駅方面に向かい、最初に目に付いた食堂にお邪魔。
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食事処 味の美和
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ランチBセット(ラーメン大盛)を注文

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香ばしい豚丼とあっさりスープのラーメン
美味しゅうございました。

食後に赤平駅で鉄分補充
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非常に立派な赤平駅駅舎外観と内部
地域交流センターと併設、というか交流センターに駅が併設されている形なのでセンター開館時以外は建物玄関が閉鎖されてしまい建物脇からホームにアクセスしなければならない。
時計下のパイプオルガンのオブジェが時報代わりに正時に動き出すのではないかと13時丁度まで待機してみたけれど動かなかったw

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駅舎と比較してかなりくたびれた佇まいのホーム

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雪が舞う

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駅前通りも雪で白く霞む

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再び炭鉱遺産ガイダンス施設へ

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見学ツアー用にヘルメットが用意されている

ツアー開始まで館内の展示物を見学して回る。
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赤平炭鉱年表

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各種看板、表札類

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初期の炭車の模型

各種装備品や工具の展示。
見学ツアー前に軽くひと回りしただけだったけれど、実物展示のほかにパネル展示や資料映像もあったのでじっくり見て回るなら多分丸いち日あっても足りない。
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手持ち削岩機のサイズがでかい

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各作業員が装着する装備

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ダイナマイトや救護班装備等

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坑内で使われた電話

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炭層断面とサンプル

坑内地図展示
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当然ながら全て手描きの時代
労力を思うと気が遠くなる。

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坑道模型
地下に張り巡らされた坑道の数とその広がりに圧倒される。

時間になったので一旦着席し、安全注意事項の説明を受けた後いよいよ見学ツアー開始。
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立坑櫓に向かう



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タグ: 観光    赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設  赤平炭鉱 
2023May23Tue

【要塞遺構と】オトナの社会科見学#03【港の夜景】 

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港の見える丘公園から眺めた
ヨコハマベイブリッジと月
たまには坂道を登るのも悪くない

丘の上から砲台跡をのぞき込む。
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別のツアーの人たちがいる
ガイドツアーはわたしが参加したドックと砲台跡がセットになったもの以外にドックと砲台跡各々単体でのものも実施されている。但し砲台跡のみのツアーは砲台跡入り口での受付。

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こちらは兵員通路上部

ぐるっと時計回りに回り込んで今度は地下施設の見学。感染症対策で別グループと被らないようにしなければならないので施設案内は順不同。
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先ほど上から眺めた兵員通路
いかにも西洋風要塞といった雰囲気。

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兵員居住区
地下施設なので全体に共通した仕様として天井は室内の調湿の為漆喰塗となっている。

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居住区入り口横の壁際にある通風孔の煉瓦に桜の刻印
この刻印は旧小菅監獄、現東京拘置所で製造されたものという印。西南戦争後の虜囚を収監する為に明治政府が小菅の煉瓦工場を買い上げ監獄とし、囚人に煉瓦を焼かせていた時の名残り。

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弾薬庫内
壁に開けられた三か所の穴にはガラス板が嵌められ、そこにランプを設置して弾薬庫内の様子を庫外から確認していた。

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兵員通路から砲台への通路

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砲台跡に出る

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砲台周囲のニッチは砲弾置き場
転倒防止の鎖を設置していた跡。

再び兵員通路へ。
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浦賀ドックのフランス積みに対してこちらはイギリス積みとなっている

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斜めに色違いの煉瓦が積まれている
濃い色の煉瓦は『焼き過ぎ煉瓦』。耐水性に優れていたが調達費用がかさむため雨がかりになる部分のみの使用として、その他は安価な一般的煉瓦を使用している。

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井戸状になった貯水槽
濾過槽を通って来た水は今でもきれいに澄んでいる。上からのぞき込んでも木の葉が浮いていなかったらそこに水があるとはにわかに気付かないほど。

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改めて通路を眺めて見学終了

再びバスに乗って浦賀ドックに戻り、そこで解散となる。
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エイジング処理を施したバス停
バス同様このツアーの為だけにわざわざ用意されたものだそうである。浦賀ドックに戻り解散。案内してくれたスタッフ氏とバスガイドさんに軽く挨拶して自転車の段取り。

諸々準備を整えて15時頃から帰宅ライド開始。

<実走行ログ:21/11/20>

浦賀駅方面から湾をぐるっと回り、東叶神社前を通ってかもめ団地方面へ。
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かもめ団地外周路から
こっちに回るなら渡し船使えば良かったと後から気が付いた。

観音崎を通過しR16を北上して横須賀市街。
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三笠公園とヴェルニー公園でお約束
この子でこれをやるのは当然ながらお初。

ヴェルニー公園から横須賀駅前を通過してR16に復帰。
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お久し振りのスカレーと今回初めて目にした横須賀線新型車両

真っ直ぐR16を北上せず、長浦港方面を迂回して相模運輸倉庫専用線跡を眺めて帰る。
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真冬になれば雑草も枯れて線路を眺めやすくなる(はず)

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徐々に雑草に覆われ砂利に埋もれるダブルクロス

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枕木が残る区間もかなり埋もれて来た感
今のところ費用対効果の面で放置されてはいるもののこの廃線もそう遠くない将来埋め潰されてしまいそうな感じがしなくもない。

一旦R16に復帰し、再び船越町から脇道に逸れる。トンネルを二つ抜けてシュートカット、、、のつもりが角をひとつ間違えて無駄な坂連を挟んでみたりしつつ。
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梅田隧道

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最近すっかりお気に入りの筒井隧道
前後の急勾配解消で路床を削った為にタテヨコ比率が一風変わったものとなっているトンネル。

野島公園経由でR357に出て北上。
ちょっと気が向いたのでもう少し坂道を登る気になって根岸公園から港の見える丘公園へと向かう。すっかりクリスマス色に染まった夜景の中を淡々と進む。
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末日聖徒イエス・キリスト教会 山手ワード

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山手234番館と山手十番館

港の見える丘公園到着。
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ガンダム(山下埠頭)方面

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ポートタワーとガンダム

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ベイブリッジと月
夜景観賞にも満足したのでのんびり帰路に。

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横浜市開港記念会館の塔

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北仲橋からワールドポーターズ方面

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この日二度目の定点撮影

観覧車が内げ花火を模したイルミネーションだったのでしばらくその場で撮影。
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動画で撮れば良かったか
少々冷え込んで来たのでキリの良いところで撤収。
あとはのんびりR15を北上して自宅まで。

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専修寺関東別院前帰着
社会科見学で知的好奇心を満たしてから夜景観賞でメンタル面のケアも出来て走行距離は短めだったのでフィジカル的にも優しいいち日なのでありました。


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タグ: ロードバイク  ポタリング  千代ケ崎砲台跡  相模運輸倉庫専用線跡 
2023May23Tue

【船渠と】オトナの社会科見学 #02【砲台跡】 

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世界に5か所しか残っていない総煉瓦造のドック
見学ツアー参加者以外は立ち入れない
浦賀船渠最下部
ここに降りられただけでも価値がある

お腹を満たして再び浦賀ドックに移動。
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浦賀ドックエリア外壁
煉瓦造のドックに合わせた外観。

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再びクレーンをじっくり眺める

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見学ツアー専用バス
このバスで千代ケ崎砲台跡まで移動する。ガイドツアーの為だけに改修されたのですと。

ツアー開始までしばらく間があったので一般公開エリアからドックを眺める。
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一般見学可能エリアからの撮影

ツアー開始5分前に集合、A班とB班に分かれガイドさんの説明を受ける。
浦賀ドックは世界に5か所しかない現存する総煉瓦造ドックのひとつで、日本国内にはもうひとつ浦賀ドックの目と鼻の先に川間ドックがあるがそちらはマリーナの一部として常時注水されている状態なので最下部まで降りての見学は不可。
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レシーバーの配布
それにしてもひと組親子連れがいたけれどほかの参加者は老人ばっかりだった。

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一般客進入不可エリアへ

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造船所船台があったところ(左)と艤装岩壁(右)
わたしの定点撮影ポイントとなっている旧日本丸もここで進水したそうである。

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ドックのゲート上を渡る
ゲートの重心は海側に偏芯しているのでドック内が空の時は海水の水圧で直立しているけれど満水になると海側に倒れて船が進入できるようになるという仕掛け。

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海側からぐるっと回り込む

見学用に新設された鉄骨階段を降りてドック最下部へ。
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ドック底部は10m四方くらいのエリア以外立ち入り禁止
林立しているのは船底を受けるためのブロック。船底の形状は当然ながら船ごとに異なるので進入してくる船の設計図をあらかじめ入手してその船に合わせた位置に移動して対応していたそうである。よく見るとブロック底部にはフォークリフトの爪が刺さるようになっている。
浦賀ドック最後の利用は東京湾フェリー、しらはま丸とのこと。なんだかんだ縁が深い。

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フランス積みの煉瓦


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拡張された船首部
『総煉瓦造』ではあるが船首、船尾部分は煉瓦では無く鉄筋コンクリート造になっている。船体の大型化に伴い拡張された結果とのこと。ギリギリまで大きなものが入渠した時は船首部分が敷地をはみ出し道路上にせり出したのだとか。

再び地上へ。
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一般見学可能エリアから

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これを覗いて進入してくる船の中心軸を合わせる

ここまでで浦賀ドック見学ガイドツアーの部は終了。これから専用バスで移動して千代ケ崎砲台跡見学ガイドツアーに移行する。
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このツアーの為だけに改修されたバス
このバスの乗車定員の縛りがあるのでA、B各グループ15人までしか参加できないし、これ一台なので午前午後の2回しか運行できない。

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叶神社にちなんで『叶』をかたどった吊り革

往復の車内ではツアーガイド氏では無くバスガイドさんがあれこれ案内してくれる。ツアー専用なので本来不要な降車ボタンを押すと『なるほど~』という男声とともにボタンが光る。ガイドさんの案内に感心した際に使うw
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なるほどボタン

千代ケ崎砲台跡は先ほど訪れた燈明堂の上方にある。燈明堂への道から分岐した坂道を、ペリー来航時の黒船の最大船速程度の速度でのんびり進む。時速10km弱。

坂道を登り切っていよいよ千代ケ崎砲台跡到着。
石積みの切り通しを通り抜ける。
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入り口の切り通し

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正面には井戸

まずは小高い丘の上へ案内される。二門の大砲がひとセットになってそれが三か所。丘の上を掘り下げたところが砲台跡。大砲の砲弾は放物線を描いて飛翔する榴弾。命中率は1%あるかどうかという精度だったとか。
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掩蔽されて大砲自体は海上から見えなくされていた

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あちこちに咲いていた竜胆

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房総半島を望む

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浦賀水道は今日も大賑わい



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タグ: 浦賀船渠  観光  写真日記 
2023May23Tue

【灯台と】オトナの社会科見学 #01【燈明堂】 


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10月から催行されている
浦賀の煉瓦ドックガイドツアーに参加

11月に入ってから電車で出勤した朝のこと。京急線車内吊り広告でMEGURU Projectなる催しの存在を知り、中でも『浦賀ドック・千代ケ崎砲台跡見学ガイドツアー』に非常に心惹かれたので詳細を確認してみたところ、ガイドツアーは土日祝祭日のみ実施で午前の部、午後の部の二回。各々AコースBコースがあって先に浦賀ドックを回るか千代ケ崎砲台跡かの違い。そして厄介なことに事前申し込み受け付けはやっておらず当日先着順で各コース15名までという上限がある。ということは最大でいち日当たり60名までしか参加できないということ。
とはいえそれほど混雑するものでも無かろうと、午前の部スタート時刻が9時30分であることを勘案して9時ちょい前くらいに現地着で計画し、約45kmの距離を途中朝食をいただいて3時間弱で走る予定を立ててみた。

前夜立会川の鳥勝(※11/24/20:12記:実は前日酒量を過ごしたのは鳥勝ではなく雑色の『ポランの広場』 だったと思い出したσ^_^;))で微妙に酒量を過ごしてしまい、やや宿酔気味の感があったものの予定通りに無事起床、もそもそ用意を済ませてほぼ予定オンタイムでスタート。
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専修寺関東別院前@21/11/20/6時頃

<実走行ログ:21/11/20>

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月食明けの月を眺めつつ多摩川を渡る
※前段で修正した通りこの日は『鳥勝飲み明け』ではないのでこの日の月は月食翌々日朝の月なのであった。

朝ごはんは横浜卸売市場本場の竹家食堂へ。
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ほぼ定番となっている二色丼(¥1,000-)をいただく
今日も美味しゅうございました。

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曙光の中のみなとみらい地区

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メモリアルシップ日本丸前での定点撮影

桜木町から内陸方面に向かい、鎌倉街道を進んで上大岡から金沢方面へ。いつもは金沢八景駅前でR16に合流するのだけれど今回はちょっとコースを変え金沢文庫、八景駅を迂回して六浦交差点からR16へ。少々道が狭いものの今までよりはすんなり走れるような気がするので今後浦賀、久里浜方面に向かう際にはこのルートをメインにしてみようかと。

横須賀市街を抜け馬堀海岸から浦賀に抜ける。
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交互通行のトンネル

浦賀ドックには計画通り9時ちょい前には辿り着けたもののチケット売り場前には思いの外大勢が行列を作っていたのでやや焦る。駐輪場に自転車を停め、鍵をかけたり靴を履き替えたりしている間に後から来たオートバイ乗りの人に先を越されてしまった。
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結構な行列

スタッフの人が行列している人たちにどのコースを希望しているのか訊いて回っていて、浦賀ドックと千代ケ崎砲台跡がセットのガイドツアーは既に9時30分スタートの部が満員で13時からの部しか空きがない事、それで良ければ整理券を配布していることを説明して回っていた、
ここまで来て9時30分がダメだからと言って諦める訳もないので迷わず整理券を貰う。
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午後の部Aコース8番目
この時、キャンセルが出たとかでわたしの直前のオートバイ乗りの人が午前の部に繰り入れられることになった。施錠や靴の履き替えなんぞ後回しにしてとにかく並んでおけば良かったとこの時軽く後悔してみたり。
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午後の部チケットゲット

チケット購入時点で9時ちょい過ぎなので約4時間の余裕がある。時間潰しも兼ねて浦賀周辺をうろうろと流すことにしてまずは浦賀ドックのさわりを。
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ドック脇のクレーンとドック
この位置なら一般公開エリアなのでツアーに申し込まずとも眺めることができる。

特にどこに行って何をというのは考えず、取り敢えず観音崎灯台に向かって移動を開始。その後のことは残り時間と気分で決める。

<実走行ログ:21/11/20>

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たたら浜付近から
岩の上に数羽のウミウ。

坂道を押し歩いて観音崎灯台へ。集団ハイキングなのか、大勢の米国人家族連れで賑わっていたけれど、彼らは丁度見学を終えて降りて来たところらしかった。
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観音崎灯台

『なんちゃら宣言』中は内部見学が中止になっていたので久し振りに内部を登って眺めを堪能。
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眺望を満喫

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フレネル式レンズ

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本体(レプリカ)は写真撮影禁止エリアに展示してある

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青空を遊弋しているトンビ

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愛して止まない灯台下の切り通し

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なかなか見事なサルノコシカケと色鮮やかなツワブキの花

『海辺の道』に至る素掘りのトンネルを堪能
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道路側の坑門は整えられているけれど海側は素掘りのまま

観音崎から折り返し、灯台繋がりで燈明堂に向かうことにする。
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かもめ団地外周路
ここもお気に入りの場所。

ドック前を通過せず、渡し船を使う。
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タイミング良く、待たずに乗船できた

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燈明堂

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燈明堂下の磯
先日訪れた天神島の磯もキレイだったけれど個人的にはこの磯が三浦半島で一番キレイなのではないかと思っている。

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小振りながらもキレイな浜辺

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三浦半島八景
いずれすべてのシチュエーションを堪能してみたいもの。

お昼時が近くなったので浦賀駅前に引き返す。ドック前を通り過ぎてあらかじめ下調べしておいたクール・クラン・ウラガへ。店内に入ると店長と思しき男性が色々愛想よく丁寧に接客してくれるので若干気が引けながらも気分が良い。
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メニュー豊富で店内ライブも催している

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アジ、カニクリーム、エビのミックスフライ定食(¥1,550-)
カラッと揚がっていて熱々でサクサクしていた。
美味しゅうございました。

食後にセットのコーヒーをすすっていたらそこそこ良い時間になったので浦賀ドックに移動。いよいよ見学ツアーである。


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タグ: ロードバイク    観光  ポタリング  観音崎灯台  燈明堂 
2023May23Tue

【冬場の雨天は】富山市ガラス美術館【インドアで】 

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「平日の美術館や博物館」は
時間の流れがゆっくりで
ひとりでのんびり歩くのには最適なシチュエーション

今回は普段の出張と異なり、夜間作業立ち会い業務となるので朝4時に業務を終了してホテルに戻ってシャワーを浴びて仮眠。日中寝ていられれば良いのだけれど他の担当案件は普通に日中の遣り取りをしなければならないのでなかなかそうも行かず、別件の業務で朝から色々遣り取りをしていたりしたのでお昼前からちょっと休憩というか業務オフタイム。
小雨がぱらついたり止んだりのあいにくの空模様だったのでインドアでのんびりしようと富山市ガラス美術館へ。図書館併設施設で館内のあちこちで本を自由に読めるので終日時間を潰すにももってこいの施設であるけれど、今回はガラス作品の展示を眺めて観て回ることに。

【6階グラス・アート・ガーデン】
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6階から吹き抜けを見下ろす

『撮影した写真をウェブサイト、ブログ、SNS等インターネットで発信することはご遠慮ください。』との注意書きがあったので撮影したデータはローカルに保存したままGooglePhotoにもUPしていない。
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深緋(コキヒ)・瑠璃色(ルリイロ)・鬱金色(ウコンイロ)と名付けられたシャンデリア
※5Fから見上げて撮っているのでセーフ。

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一枚だけ(深緋)加工してみた

薄暗い展示場の中、照明に照らされて色とりどり、様々な形のガラス細工が静かに展示されている様は独特の雰囲気があってかなり好き。平日の正午前後という時間帯のお陰で他に見学者が居ないタイミングだったので静謐な空気に満たされている感。

ふたつフロアを降りてコレクション展。
チェコのガラスアート第一人者とそのお弟子さんの展示だったけれどこちらは撮影自体が不可。

展示室内廊下側「グラス・アート・パサージュ」に展示してある作品は撮影可。
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気に入ったものをいくつか

2階に降りてインタラクション展示へ。
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3月14日までやっているのであと数回来られる。

【花と器、透過する履歴】磯谷博史
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蜂蜜が満たされたボトルにLEDの集魚灯を当てたもの。

【12hours】磯谷博史
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琥珀ではなく樹脂で作られたもの。
悠久の時を経て形作られる琥珀に対して「12時間で作り上げられた作品」という意味のネーミング。

【チジキンクツ】赤松音呂
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水を張ったガラス器の中に浮いた針がコイルに磁場が生じた際にガラスにぶつかる小さな音が展示室内に響く。これは絶対平日昼間にひとりでこの空間にいたい展示。入室した時にはカメラを持ったにーちゃんたち二人連れがあれこれ話をしながらパシャパシャやっていたので落ち着かずにすぐに出て、彼らが退出してから改めて一人でじっくり堪能した。

【チョウズマキ】赤松音呂
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ガラス器の造形と水流が作り出す渦巻きが見ていて飽きない。
写真撮影はOKでも動画撮影はNGなのが残念。

【Liquid Sunshine/そらにみつろうか】
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暗幕で区切られ、係員に懐中電灯で誘導されて鑑賞区画に入る展示。
蓄光ガラスの放つほのかな光が非常に印象的。
「チジキンクツ」も同様だけれど、防犯その他の事情から係員がすぐそばで立哨しているのは仕方が無いと理解できるものの、それでもやっぱりひとりでじっくり味わってみたい。
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『空に三つ廊下』という表現を初めて知った。
「雨が降ろうか、照ろうか、曇ろうか」と先の読めない空模様を推し量る三つの「ろうか」「廊下」をかけているのだそうで。

「グラス・アート・パサージュ」は4Fのほか2Fにもある。
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ひとつだけ『撮影不可作品』があった

そんなこんなで心だけはリフレッシュ。
館外に出て昼食の後日枝神社富山城址公園に寄り道したりしながら徒歩でホテルまで戻り、一旦室内でテレカンしたり書類をいじったりして夕方ちょっと仮眠して身体の方もどうにかそれなりに。


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タグ: 富山市ガラス美術館  写真日記 
2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-5/5(了)【遺物、遺構(日本軍-2)】 

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731部隊が発明した
当時世界最高水準の性能を誇った水ろ過装置
小笠原兵団司令部壕に残されている。

島内いたるところに地下壕が残り、あるものは通気口がふさがってしまって灼熱の壕となっていたり、またあるものは完全に埋まってしまっている。島の岩は大部分が脆く崩れやすく、故に手掘りでも壕が掘れたそうだが、翻ってそれは壕の内壁が崩れやすいということ。しかもあちこち地熱が猛烈に高く、気温が低いところでも30℃を下回るところはない。かつては色々な壕が繋がっていて現在ほど熱気がこもることは無かったらしいと伝わるものの、資料館に展示してあった当時の兵士や士官の書簡を見る限り地熱と吹き出す硫気には相当苦労したことが伺える。防毒マスクを着用しての高温下の作業なので実質5分程度しか壕掘削作業ができずに交代していたという記述もあった。先人の、並々ならぬ強靭な精神力と体力にはひたすら感服するしかない。


八八式七糎野戦高射砲(?)
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【ミリオンダラーホール】と呼ばれる旧噴火口※今年(=2012年)に入って水蒸気爆発を起こしたために周囲立ち入り禁止}にほど近い、千鳥ヶ浜の上に残る二つのトーチカ。銃眼の方向から考えて米軍の上陸作戦に対してはさほど役立てなかったと思う。故にそれほど損傷なく残っているのだろう。


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千鳥飛行場跡近くの航空機を利用したトーチカ
飛行できなくなった航空機を捨て型枠にして外側に鉄筋コンクリートを打設したトーチカ。機体が朽ちても日の丸の塗装がコンクリートに転写されている。


-粟津壕- 
粟津大尉率いる南地区隊、独立歩兵第309大隊の壕
【鎮魂の丘】付近の外周道路脇から地下を通って鎮魂の丘反対側に抜けられる(らしい)。比較的保存状態の良い壕らしいが中を覗いていないので何とも言えない。
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-最後の突撃壕-

小笠原兵団長の栗林中将が最後の突撃を行う前に滞在していたといわれる壕。歩兵第145連隊壕の一つと思われる。この壕を含め付近の壕から数百名の将兵が総攻撃を行い玉砕した。これをもって、硫黄島における組織的戦闘が終わったとされる。壕内には鉄兜や食器などが残されている。
平成19年に収容作業が行われ59柱の御遺骨が収容されている。
厚生労働省HPより


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壕入口
三箇所の入口が見えるが右の奥にもう一箇所入口がある。

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入口付近には鉄兜等の遺品が並び、水や線香を供えた形跡がある。
わたしたちも線香を炊き、水を供えてお騒がせすることを詫びたものの、この日は照明を持ち合わせていなかったし、何より興味本位で足を踏み入れることがはばかられたので表から覗き込むだけに留めた。

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壕周辺には銃弾があちこちに転がっていた

-南方空本部壕-
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入口は現滑走路の外周道路直下にあるのでヒューム管(土管)を通ってアクセスすることになる。

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地熱の高さのおかげでかなり高温になる壕が多い中、この壕の奥は島内で1、2を争う灼熱エリアである。奥まった場所にある斜めに上り勾配になっている通路を進むとある地点から先は熱気が【熱さ】ではなく【痛さ】と感じられてその場に留まることができない。まるで熱気が見えない壁となって立ちはだかっているかのようだった。発掘調査の際は自衛隊から耐熱スーツを借用して作業したそうである。壕内壁面には蒸着した銀(?)が付着してキラキラしている。
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調査済みの壕は外部への通路を見失わないよう、PPリボンテープのガイドが設置されている。熱気と湿気でピンボケ、灼熱部分は撮影できなかった。


-大釜-
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島北東部のジャングルの中にあった旧日本軍の炊事場。


-小笠原兵団司令部壕- 
【最期の突撃】まで栗林中将が指揮を行っていたとされる壕。
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中央にあるのは石井部隊(731部隊)が発明した、当時世界最高水準の能力を持つ水濾過装置。
硫黄島占領時、米軍が躍起になってこの機械を探したが結局見つからず、返還後の遺骨収集作業時に見つかったそうである。因みに機械の手前に写るウィスキーのボトルはつい最近供えられたものだそうで、当然封は切られていなかったにもかかわらずウィスキー自体は残り1~2cm程度まで減っている。供えた人曰く”やっぱり中将が飲みに来ていらっしゃるんだよ。”

余談ではあるが、石井(731)部隊の悪名(?)を世に知らしめた【悪魔の飽食】は、その根拠がどこの公文書にも記録が残っておらず、掲載された写真の一部が偽物であるということを森村氏自身も認めていて根拠のない、もしくは非常に根拠脆弱な著作であることが既に明らかになっているにもかかわらず未だに【石井部隊=人体実験部隊】という認識でいる人が多く、名誉回復が正しいかたちでなされていないのはどういうわけなのだと個人的には非常にもやもやする。
著者の森村誠一氏の他の著作自体は非常に好きだったので非常に残念である。


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司令部壕の中をぐるっと回って別の出口から出てみると、50mほど離れた医務科壕入口なのであった。ガイドがいなかったら絶対迷って出てこられなくなってる、こんなとこ。
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タグ: 硫黄島  写真日記 
2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-4/5【遺物、遺構(米軍)】 

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島に行く前にネットで唯一見つけたのがこの
「立往生した(と思しき)シャーマン戦車」
なのでした。

島内には旧日本軍のモノだけでなく、米軍が置いていったものもかなりある。
元山飛行場跡には、かつて東京タワーを凌駕し日本国内で最も高い400m超の高さを誇った電波塔、ロランタワーの解体部品を始めスクラップ類が野積みにされているし、生憎見物するタイミングを逃したけれど現在の滑走路脇の窪地には米軍の遺棄車両が山積されているそうだ。
船舶が接岸できないために引き揚げるコストが膨大になってしまうことも大きな理由なのだそうである。


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一式機動四十七粍速射砲などと同じく某建設会社宿舎群入口付近に置かれているボーイングB-29のプロペラ及びエンジンの残骸。
スクラップ置き場にあったものを移動して展示しているらしい。
アルミ合金のプロペラ端部が腐食している。

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M4中戦車(通称シャーマン)
塹壕に嵌ってしまって身動きが取れなくなって放置されたものらしい。砲塔部分に覆帯を巻きつけ追加装甲としていたようである。

わたしにとって渡航前にネット検索で見かけたほぼ唯一の画像がこのシャーマンだった。
最初に見たときは草に埋もれていたのだけれど、この周辺を開削調査するために綺麗に草が刈られたので下部まですっきり。
覆帯は既になく、フェンダー(?)部分の腐食劣化も激しいので酸化防止のため(元々の追加装甲という情報も見かけたけれど、実際のところどうなんだろう?)にコンクリートで固めてある。
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元山飛行場跡奥と現在の滑走路の間のジャングルの中に放置されている米軍輸送機(B-24だとの情報をネットで拾ったが未確認)の残骸。 米軍占領下の時期に不時着したものらしい。
主翼と、その接合部付近の胴体のみが残る。

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北岸、金剛岩付近に放置されていた車両、バスの類か?

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北部落漂流木部落の間あたりの岩に描かれた壁画。
モチーフはあまりにも有名なピューリッツァー賞受賞のあの写真。
海兵隊員が描いたそうで、件の写真には6人が写っていたが、一人は不遇の死を遂げ、もうひとりはアルコール中毒が原因でこの世を去ったため不名誉との理由から残りの四人しか描かれていないらしい。
この四(六)人だけが特別に英雄視されるのを腹立たしく感じた米兵が銃を乱射したそうで、あちこちに弾痕らしき穴が見える。

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元山飛行場跡の建物。すっかり廃墟になっている。
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2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-3/5【遺物、遺構(日本軍-1/2)】 

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島に立ち入って初めて目にした大砲が
この摺鉢山14糎水平砲台だった

島内にはいたるところに戦争の遺物や遺構が残っていて、現在運用されている滑走路の下にも英霊の遺体が相当数眠っているらしいことがボーリング調査で明らかになったそうでもある。砲台や機関砲等の遺物が残るところはネットで検索すれば案外容易にわかるものだと昨日、今日で知った。行く前にきっちり下調べができればもっとメッシュ細かく網羅できたのだろうけれど、既に後の祭り。


島内の建設作業、維持管理作業、開削作業を行うために常駐している建設会社の宿舎群の敷地の外れに展示してあるあれこれ。
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形状から類推すると一式機動四十七粍速射砲っぽい。

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こちらは二連の九二式重機関銃か?


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摺鉢山14糎水平砲台(すりばちやま14せんちすいへいほうだい) 
約7mの砲身の迫力は満点。ライフリング(螺旋溝)もはっきり残っている。米軍上陸地点の翁浜や二ツ根浜が一望できる【要撃に最適な地】にある。硫黄島指令の栗林中将の元々の作戦はまず米軍を上陸させ、充分に引き付けて米軍が同士討ちを警戒して援護攻撃できなくなるよう敵味方の距離を無くした状態で打撃を与えるというものだったらしいが、米海軍艦船の上陸作戦前の掃海行動を上陸行動と勘違いした摺鉢山砲台が砲撃を開始してしまったために存在位置が察知され、艦砲射撃で叩かれてしまって【敵を引きつけてからの十字砲火】ができなくなってしまったために【勇み足砲台】とも呼ばれるらしい。


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硫黄島陸戦隊本部
第一御楯攻撃隊(神風特攻隊)出撃前夜の会議室でもある。分厚い鉄筋コンクリート構造。昔はここが資料室として活用されていたようで、その名残なのか表には大きな砲弾が屹立していて入口付近には仏像と小銃が置かれていた。

-現在の資料館-
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硫黄島の歴史を記した写真のパネル展示や、収集された遺品が置かれている。また硫黄島攻防戦や当時の歴史に関してのDVDが鑑賞できるようになっていて、それを観るだけでもなかなか充実した時間を過ごせる。


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八八式七糎野戦高射砲
元々ここにあったものではなく、地中に埋まっていたものを掘り出してここに据えたそうであるが、元山飛行場のすぐ脇なのでそうおかしくない場所に置かれているのだと思う。


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【北の鼻】にある『硫黄島最北端の機銃座』
形状は九二式重機関銃だと思われる。

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機銃座周辺には銃弾や薬莢、砲弾がゴロゴロ転がっている

<余談>
この【北の鼻】はGoogleMapsでも表示されるので行きたがる人が結構居るものの、大抵の人は道がわからず断念するのだそうだ。今回案内してくれた人がいたのでどうにかたどり着けたけれど、文字通り【道なき道】を軽四駆で突っ込んでいく様はまさにジャングルクルーズ。
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これでもまだかわいいくらい。
そこそこ太い木が生えている中に背の高い草だけの部分があって、よく見れば確かに道に思えなくもない…というところを構わずガンガン突っ込んでいくとその先が【北の鼻】
そりゃ普通の人(この島における「普通の人」の定義とは?)にはわからんですわなあ。
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2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-2/5【沈船群】 

2020.02.07 Fri 12:48  -edit-

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島の中で個人的に最も衝撃を受けた光景が
千鳥ヶ浜の沈船群だった。

 直前まで日常業務が慌ただしく、事前の予備知識をほとんど持たずにバタバタと渡航してしまったので、多数の地下壕が残り、今なお遺骨収集作業が続いている。また枕元に置いたコップの水が一晩で減ったり夜中に行軍する旧帝国軍兵士の姿が見えたりすることがあるということくらいしか知らなかった。到着初日の午後、宿舎と作業場所との往復用に借り受けた車で島内をうろついていたときこの沈船群が眼前に広がったとき、車に乗っていた四人全員が”『猿の惑星』のラストシーンみたいだ…。”と感じたものの、後日遅れて入島してきた20代の後輩社員に”『猿の惑星』みたいだろ?”と訊いたら”いや、その映画知らないです。”と言われてセンチメンタリズムを味わった傷つきやすいグラスハートを抱えた不惑のおっさん四人組なのであった。この沈船群、この場で座礁したものではなく、硫黄島占領後に米軍が桟橋を構築する意図でその基礎とするために廃船にコンクリートを詰めて沈めたもので、それでも作業中の地盤隆起が激しく結局は計画が頓挫してしまって放置されたものだそうである。そもそもこれらは当初海面下11mに沈められたものだというからその隆起速度の速さが伺える。 


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摺鉢山から沈船群を眺める。

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海水淡水化プラント取水口跡付近から。
※自衛隊が運用していた海水淡水化プラントの取水口も地盤隆起のために使い物にならなくなって放棄された。今現在は滑走路に降る雨水を溜池に貯留し、浄化して使っている。話によると東京水よりも更に高度に浄化されているのだとか。

<沈船群>
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波の浸食に耐えたエンジンの残骸
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大きさ比較のためにおっさんを並べてみました
『猿の惑星』というよりむしろ『天空の城ラピュタ』的なイメージ。

夕暮れどき
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もっとも好きだった時間帯 

ランニングで毎日そばを通過するのが楽しみでした。
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2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-1/5【ランニング三昧】 

2020.02.07 Fri 00:17  -edit-

業務上の都合で三週間の硫黄島出張。
自衛隊管轄で基本的に一般人が立ち入れない島なので、そこで見聞したものは厳密に言えば業務上知り得た秘密と言えなくもないのでできる限り差し障りの生じない範囲(と、わたし自身がジャッジしたものではあるけれど)でちょこちょこ公開してみようかと。


日常のルーティン。
※二週目頃のもの、一週目は夕方のランニングもAコースが主体。
3:45~ 起床、ランニング(硫黄島Aコース)、シャワー 
5:00~ 朝食、仮眠
6:30~ 業務開始
11:00~ 昼食、昼寝
12:30~ 業務
17:00~ 夕食
17:30~ ランニング(硫黄島Cコース)、入浴、ビール、焼酎
21時~22時頃 就寝
元々今回の出張中はどうせ走ることくらいしかできなかろうと、月間走行距離目標を300kmとしていたので15~20km/日くらいのペースで走る気でいたのだけれど、6:30~17:00という業務スケジュールにどうやって走る時間を組み込むかが意外とネックだった。
居住区以外は当然のように街灯なんか無かったので、うっかりヘッドランプを持参しなかった今回は夜間のダート路面は走りたくない。
それでも月明かり、星明りを頼りにすればうっすらコースを確認できるので、早朝や夕暮れ後でも大丈夫な舗装路面のみを走るコースを設定したのがAコース。

Aコース:一周約8km
※これは試走の時のもの、実際には時計回りに走っていた。

半分以上がダート路面な島外周道路を周回するコースをBコースと(勝手に)命名。 

Bコース:一周約16.5km

当初は朝晩共Aコースを走っていたのだけれど、17時半頃にスタートすれば硫黄島西端部の釜岩で夕日を眺めることが可能なことがわかって夕方は釜岩まで走るようになった。
当初は単純に往復していたのだけれど(約9km)最終的にはAコースに釜岩往復を加えた形のCコースとなった。

 Cコース:一周約14km

BコースとCコースでは距離は2.5kmしか違わないものの、ダート路面と北側のアップダウンが地味にきついので距離の差以上に疲労度が違う。


コース上のあれこれ。
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釜岩に向かう途中、ウグイス地獄と呼ばれる噴火口の脇を抜ける坂道。 
不同隆起が激しいところで路面のあちこちに段差がある。
水平に茶色い線が見えるのはここが断層になっているためで、断層部分はアスファルト路面が完全に段差となってしまっているので鋼板を敷いて車両の通行を行っている。
現在、海運物資の荷役は釜岩付近で行っているのでこの道が走行できなくなると非常に問題。

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釜岩付近から摺鉢山を眺める。 
摺鉢山は米軍が上陸した際、星条旗を立てた山。
波打ち際に並んでいるのはかつて米軍が波止場として利用するためにコンクリートで固めて沈めた艦船の残骸。
隆起速度が早すぎて結局使い物にならなくなってしまったので放置されたそうである。

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釜岩付近から井戸ヶ浜を眺める。
かつては海の底だった砂地で古い地図には釜岩は単独で沖合に浮かぶ岩礁と描かれている。
年間20~30cmという世界的にもあまり例のない速度で隆起を続けている、まさに【生きた島】
白く見えるのは【平和祈念墓地公園】建造物。

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夕暮れ時の釜岩。
三週間の滞在中、後半はかなりうねりが高く豪快に波しぶきが立っていました。
毎日【水平線に沈む夕日】を見たくて通った釜岩でしたが、デジカメも携帯電話も持たずに出たたった一日以外は水平線近くに雲があって思いかなわず。
代わりに(?)東の空にはうっすらあかね色に染まった空に満月に近い月。
タイミングってのは得てしてそういうものですね。

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千鳥ヶ浜(沈船海岸)付近

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外周道路から摺鉢山への分岐。
摺鉢山は道路が整備されていて頂上まで車で行けるようになっているものの、路面の劣化が激しいため現在では車両進入禁止とされているが、徒歩なら問題なし。 
※部隊の人たちの方は進入禁止扱いになっているのかどうだかわからない。離島の日に航空機搭乗待合ロビーに自衛官向けの注意書きが掲示されていたけれど、そこには『段差が大きいので通行注意』と書かれていた。

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硫黄島島民平和祈念墓地公園
戦争中、軍属として亡くなった島民を悼むために元々島民墓地だったところに建てられた。
かつては目の前がすぐ海だったはずだけれど現在では広々とした井戸ヶ浜の砂地が広がる。

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外周道路から漂流木海岸方向を見る。
漂流木海岸は近年の噴火活動に伴い道路が損壊していて立ち入り禁止。
まぁ漂流木海岸に限らずあっちもこっちも噴火しちゃっていますけれど。

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島北東部、東山周辺の外周道路
細かく続くアップダウンが地味にきつい
挨拶がわりに気が向いたら押してやってください。
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タグ: 硫黄島  写真日記 
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