【自転車と】第40回館山若潮マラソン【マラソンと】
2020.01.30 Thu 21:27 -edit-
フラワーラインを進む
天候に恵まれれば
青空と菜の花のコントラストが素晴らしい区間。
【2020/01/25(土)】
四時起床。
九州から遠征でR東京主催の【BRM125東京300km行ってこい伊豆高原】に参加するばんばんさんが蒲田駅近くに宿を取ったというので宿泊先からスタート地点のとどろきアリーナ前までエスコートしてからスタートのお見送りという段取り。
四時半頃自宅前を出発し、15分ほどで辿り着くつもりでいたのに場所をうろ覚えのままで向かったら少々迷子になったものの、見込みより5分遅れくらいで宿の前に到着。というかとても宿があるとは思えないファサードの建物であった。
専修寺関東別院前:四時半頃
概ね順調に走ってとどろきアリーナ前に到着したのは5時20分頃。200と300の併催だったこともあってかなりの人数が既に集まっていた。
お見送りにHideさん、ぜっとさん、momさん、イーチョねーさんがいたし、参加者の中にも見知った顔がたくさん。
とどろきアリーナ前
ばんばんさんと、彼女をアテンドして走る生郎さんのスタートを見送って一旦帰宅。
ばんばんさんとmomさんから色々お土産をいただいた
<実走行ログ:2020/01/25>
一旦帰宅してコタツに潜り込んでうだうだ。
【2020/01/26(日)】
※多摩川手前でいつものクセが出て若干遠回りになっているのはご愛敬。すぐに気づいて復帰したけれど。
一旦帰宅してコタツに潜り込んでうだうだ。
動いている分には問題ない装備ではあったけれど、お見送りの為スタートまでじっとしているには寒すぎるという状態だったので結構身体が芯から冷えていたようでなかなかコタツから這い出せなかったが、腹が減ったので仕方なくコタツから出て朝メシを用意して腹にしたため、もそもそと若潮に向けての準備。土曜日前泊、日曜日本番の一泊二日なので泊まりの準備も要る。日曜日の日中は雨予報だったので雨装備をどうするか、若干悩んだものの(本格的に降ったらDNSすれば良いので雨具は要らん。)と軽く考え、防寒用のウィンドブレーカーのみ。
【備忘録:館山若潮マラソン用装備】
・長袖コンプレッションインナー
・小金井チームサイクルジャージ(半袖)
・ラン用ウィンドブレーカー
・コンプレッションロングタイツ
・ランニングパンツ
・防水キャップ
・軍手(当日非使用)
・ネックウォーマー(当日非使用)
上記と一泊分の室内着、ランニングシューズを詰めたリュックを背負い、11時半頃一路久里浜港に向けて出発。
専修寺関東別院前:2020/01/25/11:30頃
第一京浜を南下し、横浜からR16、横須賀に入って逸見付近から衣笠経由で久里浜に向かう、フェリー利用時のいつものコースのつもりでいたけれど、今回は時間に余裕があったこともあり磯子からR357に遷移してブレーメンに寄り道。
横浜市中央卸売市場でお昼ごはん
ブレーメンでおやつ
14:45頃久里浜港フェリーターミナル着
往復のチケットを購入して船の到着を待つ。
15:25発の金谷丸
16:05金谷港着
宿は小金井トラチームの定宿で、スタート地点脇にある「民宿つのだ」さんと「第一渚ガーデン」さんなので、一旦宿を通り過ぎる形でR127を南下して木村ピーナッツへ。
定番のビーナッツソフトクリーム
Swarmでチェックインしたら、なぜかここのメイヤーになった。
折り返す形で移動して民宿つのだ着。
晩ごはん前の宴会部屋到着
小金井から車で移動している最中も酒盛りをして来たという面々は既にすっかり出来上がってメーター上がっていた。
そして今年も、徳之島でお馴染みのしのぶさんが投宿されていたのであった。
<走行ログ:2020/01/25>
※フェリー乗船中記録停止忘れ
晩ごはんを挟んで宴会第二部。
マラソンやトライアスロン、その他あれやこれやのお話で盛り上がり、翌日のマラソン大会本番をどうするかというお話に。
”寒そうだし雨降ってたらやめたいよねえ。”というのがみんなの意見ではあった。ところが天気予報を確認してみたところ9時台までは傘マークがついていたけれど10時台以降は曇りの予報となっていて、フルマラソンスタートは10時なのでほんの少々降られるだけではないかという希望的観測導き出されてしまい、なんとなく走る空気になってしまっていた。
元々の雨予報でモチベーションが根こそぎ持って行かれてしまった状態なのでなかなか気分が盛り上がらぬまま部屋に戻って就寝。
【2020/01/26(日)】
明けて大会本番。
窓の外はしとしと雨が降る音がする。
サトシがジャンパーを着こんで朝の散歩に行って帰って来たけれど”しっかり降っててガードマンやスタッフもみんな雨合羽着てるよ。”スマホを取り出して時間ごとの天気予報を確認してみたら、雨の時間帯が前夜確認したそれより後ろにずれ込んでしまって14時台まで畳んだ傘のマーク、15時台以降雲のマークに切り替わっていた。”走りたくねえ、本気の本気で走りたくねえ…。”とグダグダ。個人的にはAJたまがわでの【遠征佐渡ブルべ】に負けずとも劣らぬくらいに走りたくなさに心が満たされた朝なのであった。
だらけるオトナたち
それでも表を見るとスタート/ゴール地点には参加者が三々五々集まって来ていてやる気に満ち溢れた方々はウォームアップランをしていたり。
どうやったらモチベーションを高められるのか
DNSする気満々でいたのに”折角だから最初の回収ポイントで収容車に乗ったとしても、スタートだけは切ろう。”という流れになってしまったのでしぶしぶスタート地点に移動して全員は揃わなかったけれど記念撮影。
参加者と応援者半々くらい@民宿つのだ玄関
スタート地点へ移動
(青いウィンブレ&赤いキャップがワタクシ)
10時丁度にスタート
しとしとしとしと冷たく細かい雨がそぼ降る中淡々と走る。
最初の回収ポイントで本気で収容車に乗りたい気持ち満々で。
頭に風船を付けた4時間のペーサー二人組が追い越して行ったけれど、現時点のわたしの走力では少々厳しいので追走はせず、徐々に差が開くに任せていたらキタさんが追い付いてきた。”なかなか良いペースじゃないの?””いやあ、ちょっとオーバー気味ですね、6分半くらいで行きたいんですよ。キタさん目標タイムはどのくらいですか?””四時間くらいかなあ。””オレは5時間切れたら御の字です。あ、4時間のペーサーが少し前に行きましたよ。””そうかあ、それじゃ!””行ってらっしゃい!”徐々に差が開いて行って、周囲に知り合いのいない状態が以後ゴールまで。
しばらく淡々と走っていたら後方から集団が近づいて来る音。4時間15分のペーサーとその後ろに付いた集団だった。しばらくそのペースについて行ったものの、明らかにオーバーペースであった。
21km地点手前で既に遅れ始めて単独に。
4時間15分ペースから脱落したあたり
フラワーライン入り口から折り返して館山市内方面に戻る。すぐに4時間30分のペーサーと集団が来たのでしばし追走。寒かったので汗をかいた自覚は無かったものの、エイド毎にきっちり水分補給と時々補給食をしていたら遅れてしまった。
そんなこんなで走っていると後方からペタペタ音がして、裸足ランナーが追い越して行った…って、裸足ってだけじゃねえぞ!
キレイなフォームをしておる
最高気温6、7℃くらいで道端には低体温症を起こしてレスキューシートに覆われて収容車を待つ一般参加者が一人や二人ではなかったというのにこの格好で走れるということはしっかり一定のペースで走れていて体温が維持できているということで、非常に羨ましい限り。
そんなこんなを考えつつ走っていたら、27km付近の第三関門。ここから先は非常にえげつないアップダウンがあるのをすっかり忘れて序盤のオーバーペースで脚が死んでしまっていたのでなかなかの地獄を見た。フルマラソンで最も厳しく感じる30km付近以降がコースとして一番厳しいアップダウンの区間というのはなかなか鬼。この辺を走行中に4時間45分のペーサーにもパスされてしまった。(5時間切れたら御の字!)とは思っていたものの、正直4時間半くらいで走り切れるだろうと根拠なく考えていたのでなかなかショックが大きかったけれど、走り込みを始めたのが今年の元旦ロードレースからなのでさすがにそんなもんだろう。
思いっきり失速して海岸沿いの最終関門を通過、それまでの山の中ほどではないものの緩やかでうねるようなアップダウンが続く海沿いの道を進み、海上自衛隊基地前からようやく平坦路。残り3kmほどになったところでようやく脚が戻って来てゴールまでは6分/kmペース。どうにかこうにかゴール通過はグロスで4時間45分。
3年前より50分遅いゴール
<実走行ログ:2020/01/26>
ゴール後のお楽しみである豚汁
菜の花入り。
宿に戻って風呂に入って身体を暖め、用意してくれていたおしるこをいただく。
未明から大会終了までしとしと降り続いた雨がようやく上がり、路面もウェットからセミウェットへ。つのだから金谷のフェリーターミナルまでは25km弱しかないので荷物を背負っていても一時間ほどあれば到着できるのでターミナル到着は17時半過ぎ。
18時で営業が終了する軽食コーナーに移動していつものようにびわソフトをいただこうかと思ったら…。
なんてこったい!
仕方が無いのでターミナルの外にでて、待ち時間を利用して晩ごはん。
金谷食堂
刺身盛り合わせとアジフライをセットにした金谷定食
フェリー着岸
往路で乗ったのと同じ金谷丸であった。
19時ちょい過ぎに久里浜港着
金谷でフェリーに乗り込むところでわたしと同じく館山若潮マラソンに参加したという、仲間で車乗り合いで参加していた男性に声を掛けられ、問われたので自走で帰宅すると応えたらかなり驚いたうえ、久里浜に到着してから信号待ちで並んだところで”気を付けて帰ってくださいね!”と声を掛けられ、非常に気分良く帰路に就けた。約2時間半で自宅前に帰着。
専修寺関東別院前:2020/01/26/21:50頃
<実走行ログ:2020/01/26>
※今度はちゃんとフェリー乗船中記録を止めた。
ゴール後宿で入浴したものの、70km以上走って来たので改めて身体のケアのために黒湯温泉に浸かるべく銭湯へ。
照の湯のメイヤーである
温まったところで某鳥貴族に移動して軽く補給。
たんぱく質が欲しかった
少々のんびりして、日が改まったところでお店を辞去して帰宅、就寝。
「優先エントリー権」のかかった【小江戸大江戸200Kフットレース】まで1か月。
走り込み不足は否めないものの、終盤の脚の戻り具合になんとなくうっすら光明が見えたようなそんな大会でありました。事後の足腰のダメージ自体はそれほど残っていないので、走り込みを重ねれば何とかなるのではないかという希望的観測をば。
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【ほぼ】第39回 フロストバイトロードレース【ワースト】
2020.01.21 Tue 12:22 -edit-
今年の参加賞トレーナーはブルー
初参加のころは街中で着るのがはばかられるような
なかなか派手派手しいデザインでしたが
近年はすっかり垢抜けてしまって
嬉しいやら寂しいやら。
今回で自身、通算9回目の参加となる【第39回フロストバイトロードレース(ハーフマラソン)】に参加して参りました。
元日からここまでの半月間でようやく40km行くか行かないか程度の距離しか走れていないので、今現在の走力を確認する意味でも大事な大会。っていうか翌週にはフルマラソンである【館山若潮マラソン大会】が控えているというのに全く走り込みが出来ていない状態なのはどうなのよ。
一か月後には、今年のこれを完走しないと優先エントリー権を喪失してしまう【小江戸大江戸200Kフットレース】ですよ、まったく。
まあ、明るい材料としては全く走り込みが出来ていないし身体が重たいのでスピードが出せないものの、自転車に乗りまくっていたおかげでスタミナ自体はどうにかもったことと、呼吸法とナンバ的なフォームの組み合わせで一定のペースでそこそこ走れることが分かったというくらい。翌日アクティブレストのつもりで帰宅後夜ランしてみたら、前日ダメージをほとんど感じずに走れたので身体自体は順化できていそうな雰囲気ではある。
元旦に10km、19日に21km、26日に42.2km…と、倍々ゲームで距離を伸ばして2/22-23で200kmとか、なかなか無理のあるスケジューリングではあるけれど、まあ今更気にしても仕方が無いのでできることをやっていくしかないなあと。
今年は場内アナウンスでしつこいくらいに走行中の写真撮影が不可である旨伝達されていたのでスタート/ゴール以外の画像無し。昨年は肋骨骨折でDNSしてしまっていたので状況がわからないけれど、滑走路外周の管理道路を走った例年と異なりタキシングエリアがコースとなっていたので基地側もナーバスになっていたのかも知れない。
まあ、参加者も平和ボケしている手合いが多いので「禁止」と言われても平気でパシャパシャ撮っている風景がそこかしこで。軍事基地で撮影禁止と申し渡されている区画で撮影なんかしていたら本来拘束されたっておかしくねーんだぞと。まあ、コース脇の米人スタッフも真面目に制止する人もいればにこやかに撮影に応じている人たちもいたけれど。
9時ごろ横田基地第五ゲートから入場
ピックアップトラック
基地内で頻繁に見かけたやつ。サイズも手ごろで格好いい。
日本で売らないかなあ…。
今年の参加賞トレーナーはブルー
ナップザックとキャップを購入
計測チップは返却不要
RFID関連のICチップ類は一気に価格が下がったよねえ。ひと昔前には考えられなかった。
今年のBobちんは生ビールだった
11時にスタート、13時過ぎにゴール
ネットで二時間切れないとか
走った後はまず生ビール
その後立川に移動して打ち上げ兼新年会。
一次会から流れて二次会へ。
立川駅近傍の立ち飲み屋で日本酒飲んでた
ところどころで記憶を飛ばしながらも無事帰宅。
<走行ログ:2020/01/19>
ネットタイム推移
2011年:1時間46分
2012年:1時間46分
2013年:1時間49分
2014年:1時間49分
2015年:1時間49分
2016年:2時間08分
2017年:1時間48分
2018年:2時間54分
2019年:肋骨骨折のためDNS
2020年:2時間04分←NEW
2018年は前日【鎌倉300】を完走してからの出走なので別格として、2016年は骨折までは至らなかったけれど肋骨付近を痛めてしまった状態での参加だったので今年のこのタイムはなかなか深刻である。
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【大会本番と】第31回トライアスロンin徳之島大会【その後のまったり】
2018.08.30 Thu 08:50 -edit-
ランパートのハイライト。
サトウキビ畑から緩い下り坂を一気に走り抜ける直線路は
そのまま東シナ海へ向かって走るようで気持ちが良い。
この景色を味わう為にこの大会に出ているといっても過言ではない。
無論、宴会も楽しみなのだけれど(笑)
7月1日(日)
大会本番のログ。
今回、普段使っているGarminの910XTJが充電不良で使えなかったものの、幸いにしてスイムがランに切り替わったのでスマホで記録することにした。
ランの最中撮影もできたし結果オーライではあったけれど、タイム自体は惨憺たるものであった。
まあ、今年は大会以外も存分に楽しめたし完走出来ただけでも良しとする。
今年もギョニソスーツで臨んだ。
スタート前。
近くにいた同宿の面々と。
第一ランのクロスカントリーコースは心配したぬかるみこそ無かったものの草の丈が結構高くて走り辛かった。フルカワさんたちとのんびり話しながら終了してトランジション。
正規距離の半分弱に短縮されたバイクコース。
わたしの一番の稼ぎどころががが。。。
バイクパートはスマホで撮っているゆとりが無かった。
走力的にもそうだったし、風がそこそこ強かったのもあるけれど、それ以上に腹具合がよろしくなく、途中二回ほど人としての尊厳を失う直前でトイレに逃げ込む事態に見舞われた。
強風のため距離が短縮されてしまったけれど、普段のわたしの走り方だとこの距離くらいまでガシガシ踏んで後半流して脚を戻すというパターンなので普段通りに走ってしまったら脚が戻らなくて次のランでかなり難儀した。
小金井トラのユキナリご夫妻やシンガーソングアスリートの古代真琴さんとスライドしたりパスしたりしばし一緒に走ったり。
先述の通り脚が売り切れたまま戻らず、ランパートスタート時から10kmくらいはとぼとぼ歩き、それ以降ようやく脚が戻って来たのでジョグペースながら走り始めた。
エイドで待ち構えてくれているお子達。ものすげーかわいい。
この子たちが差し出す水や氷、スポンジを残らず受け取ってあげたくなる。
ボラスタッフも、沿道で見物している人も、みんな一生懸命応援してくれるので本当に心から楽しい。
ランパートのハイライト。
犬の門蓋(いんのじょうふた)に向かってサトウキビ畑の中を緩やかに下る直線路。冒頭でも触れている通り、この景色を観るためだけにクッソ暑い中走っていると言い切っても過言ではない。
平土野から空港方面(=ゴール)へ向かう最後の最後に脚を削りに来る緩やかなアップダウン。海はかなり荒ぶっていた。
タイム的には不本意ながら怪我もなく無事ゴール。
そして全身冷やしタオルに包れてアイシング。非常に気持ち良い。
平和の森荘宿泊者が集まって、同宿のメンバーがゴールするのをお出迎え。今回スタートした全員が無事ゴールできたのでバイクを引き取り一旦宿に戻ってシャワーを浴びたり着替えたり、早い人はバイクを解体、パッキングを初めていたり。
今年はウェットスーツを洗う必要が無いので少し手間が省けた。
時間になったのでみんなでB&G海洋センター体育館へ移動。
今年は天気予報を鑑みて屋内開催となるどんちゃんパーティ(=後夜祭)
例年のように酔って歌って踊って…の楽しいひと時。
宿に戻って更に宴会が続いたのだけれど、今年は部屋で横になったら寝落ちしてしまっていて不参加となってしまった。残念。
7月2日(月)
天気予報通り台風が最接近して窓外は暴風雨。
終日宿でじっとするしかない。
朝ごはん。
そして朝からビール。
お昼はヤギ汁定食。
平和の森荘で飼っているヤギを潰す予定だったけれど諸事情あってその血縁のヤギが食卓に上ることになったと宿のご主人から伺った。
台風の進行速度が非常に遅く、いつまで経っても風雨が収まらず、いい加減飽きて来たので海パン一丁でゴーグルを着用し、ビニール袋にTシャツを入れてHorizonまで風雨の中コーヒーを飲みに行ってきた。周囲はサトウキビ畑ばっかりで風で飛ばされて来るような看板類もないし。
周りの人には笑われたけれどこのくらいしか正直やることが無い。
晩ごはん。
真夜中に起きて集まり、サッカーWC日本戦を観て一喜一憂。
残念でしたがまあ良いもの観られた。
7月3日(火)
台風は遠ざかりつつあったものの依然として移動速度が非常に遅い。
オレの秩父山伏峠登坂とどっこいではないかという速度で移動しているため雨は止んだが風が強い。
朝一番の寝姿山(ってか見えない)。
月曜日の便で帰る予定が欠航になってしまった上、この日の第一便まで欠航となってしまったのでキャンセル待ちの列に並ぶという宿泊客を朝一番に空港まで送って行ったら空港ビル解錠前だというのに長蛇の列。
わたしはこの時点ではこの日の第二便を予約していたので他人事のように眺めていたが、宿に戻って部屋でのんびりしていたらその第二便も欠航となってしまったことを伝え聞き、慌てて空港ビルへ。
月曜まるいち日分とこの日の第一、第二便欠航のお蔭で相当混雑していたので途中であきらめて宿に戻った。ネットで予約しようとしてみたら最短でも木曜日の便しか押さえられなかったので会社には木曜まで余分に休む旨連絡を入れた。
会社の制度に「特別積立年休」というものがあって、本来なら流れてしまう分の年休を年間五日を上限に最大25日まで積み立てて、非常の際に使えるというものがあったので問い合わせてみたら”本人の病気療養または家族の介護のためにしか使えないので却下。”とにべの無いお返事。
結局この25日は使うことなく消滅してしまうのか。。。
お昼はエビのお味噌汁。
ほとんどダラダラ過ごしていたのであんまりお腹が減らなかった。
午後は宿泊客が空港ビルと民宿を往復するのを送迎する運転手としてひたすらハイエースを転がしていた。
夕方宿に戻った際、宿の裏手から眺めた夕景。
タイミング的に日没自体は運転中にチラ見しただけだったけれど、この残照だけでも十分見応えがあった。
夜は人数少なかったけれど宴会。
結局この日は臨時の増便もあったもののそれも含めて半数の便が欠航し、ひと便は徳之島に引き返して来てしまったので一部メンバーは未明に徳之島町亀徳港から船で奄美大島や鹿児島を指して移動するとのこと。あの手この手で離脱しようとするのは「日本沈没」の脱出シーンを彷彿とさせてなかなか笑えた。
7月4日(水)
朝一番の寝姿山。風雨は落ち着いて来た。
朝ごはん。
食後にキャンセル待ちをする面々を空港まで送る。
宿に戻ってダラダラ。
裏手で飼われているヤギを眺めに。
”すまん、オマエの親戚食ってもーた!”
自転車を借りてスイム会場のヨナマビーチまで。
軽く水遊び。まだ潮が満ちているのでもう少し潮が引いた午後の方が楽しめそう。
かごしま国体でのトラスイム会場となる松原漁港。
お昼は温かいそうめん。
かけ汁はサバ缶を活用したモノらしい。今度真似しようと心に刻む。
徳之島脱出の手配が完了して少々寂しい。
午後から自転車を変えて再びヨナマビーチへ。
想像通り最高のコンディションだった。
結局今年もウミガメと遭遇できなかったのが若干心残り。
晩ごはん。添えられているのはタンカンのゼリー。
冬場に採れたタンカンのしぼり汁を冷凍保存しておいて少しずつ使っているとのことだけれど、今年の分のストックはそろそろ品切れとなるらしい。
7月5日(木)
今年の徳之島滞在最終日。
朝ごはん。
(わたしが)最後の客だし新規客の予定もないので出発まで車を自由に使って良いからドライブでもしてくると良い。
そんなご主人のお言葉に甘えて出発ギリギリまで走りまわった。
旧浅間飛行場滑走路跡。
適当に走っていたらちょっとヤバめの道になったけれど、電柱と電線があるうちは大丈夫!と、進んだらやっぱり大丈夫だった。
島内点景。
亀徳でギョサン買った。
大和を旗艦とするする艦隊記念碑。海は少々荒い。
ウンブキ
この色合いが好き。
離陸一時間前に宿に到着し、ご主人に空港まで送っていただいて帰路に就く。
さらば徳之島、また来年!
鹿児島空港では時間潰しに足湯に浸かるのはお約束。
離陸後うとうとしていたらあっという間に羽田だった。
そのまま帰宅はせず、モノレールで浜松町に出て京浜東北線で蕨まで。
vさんが営む台湾水餃子のお店「江月」が諸事情から7月7日(土)で店じまいしてしまうということなので小金井トラで繋がりのあるりんりんさんを誘ってお邪魔してみた。
お店に入るとお馴染みで特に濃い面々が。
りんりんさんには少々毒気の強い人たちばかりのようだったけれど、逆にランドヌール(ズ)から見たら「宮古島トラ完走者」というのはかなりアレな人という感じに映るのでお互い様だろう。
水餃子をたっぷり堪能し、〆にマンゴーかき氷を頂いて大満足。
すっかり堪能して翌日からの社会復帰はかなり困難を極めたのでありました。
(了)
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【二年続けて】第13回 戸田・彩湖ウルトラマラソン【どうにか完走】
2018.04.17 Tue 20:23 -edit-
<走行記録:2018/04/14>
※GarminさんがGPSを掴み損ねて時々変な方へ瞬間移動しています。
同じところをぐるぐる回っているだけなのに徐々に高度があがっているように見えるのは時間経過に伴って気圧が下がっていったからだろうと思われます。
(計測:Garmin ForeAthlete 920XTJ )
埼玉県と東京都に飲料水を供給する水瓶彩湖。
その彩湖のほとりの周回ランコースを9周する42.195kmのフルマラソン、15周する70kmのウルトラマラソンが同時開催されるイベント『第13回 戸田・彩湖フルマラソン&ウルトラマラソン』に昨年に引き続き今年も参加しました。
今年も昨年同様こーへー君がエントリーしていて更にガクさんもエントリーしたということだったので”三つ巴の(低レベルな)戦いだ!”と息巻いておったのですが、ガクさんはやむにやまれぬ事情のためDNSとなり昨年に続いてこーへー君との一騎打ちとなったのでありました。
諸事情あって木曜日の夜宮城から東京に戻って金曜日は有給休暇。
大会前の貴重なお休みを使って諸々準備…のつもりがこの日からロードショー公開が始まった『パシフィックリム・アップライジング』の4DX上映を観に行って興奮冷めやらぬまま帰宅して、既に購入所有していた前作のBD鑑賞+新作劇中のワンシーンに触発されて『トップをねらえ!』のDVD鑑賞までしてしまうなど、およそ準備らしい準備も整わぬままの状態で寝落ち。
3時半頃目覚めて布団で寝直し、最寄駅5:23発の始発電車に乗り込むつもりで目覚ましをセットしたものの一旦起きてから再セットして二度寝。結局始発に間に合わずに次発に乗り込むという、非常にだらけた感じの滑り出し。走り込みが全然できていなかったし身体は重かったし…で、どうにもモチベーションが高まらない朝なのでありました。
京急線→山手線→埼京線、と乗り継いで会場最寄の武蔵浦和駅に到着したのは7時丁度くらい。そこから会場までは無料送迎のシャトルバスに乗り込む。
シャトルバス待ち
15分ほど揺られて公園管理事務所前に到着。
トイレを済ませたりしてから会場に向かうと丁度7:30からの開会式が始まったところ。
開会式の様子
周囲をぐるりと見回すも、こーへー君の姿が見えない。
ツィートを確認したら丁度この頃武蔵浦和駅前のバス乗り場に到着したらしい。
そういえば昨年もこんな感じで遅れてきたはずだ。地元さいたま市在住なのに。
荷物を預けスタート位置に並ぶ。
本部テント前でこーへー君の姿が見えないかうろついていた時
”ここにもエントリーしていたんだね!”
と、声を掛けられた。
毎年小江戸大江戸の際、小江戸区間終了時に川越ASでマッサージをしていただいている聖整体院の院長さんだった。すっかり覚えられておる。
エントリー総数約1,000人の70kmスタート地点。
実際には2、3割くらいがDNSかな?それでも優に500人はを超えるランナーが走る。
スタート数分前に”あ、見つけた!”と、こーへー君合流。
8時丁度にスタート
最初の内はこーへー君とあれこれ話をしながら6分/km前後のペースで。
ところが気が付いたらこーへー君の姿がない。
(彼も走り込み不足だということだったしペース落ちたかな?)とか思いつつ、仮に30秒/kmくらいペースに差があったとしてもラップするのは10周くらい回ってからになるのでゴールまでは遭わないかな、とも。
一周約4.6kmのコースをエイドでのロスタイムも込みで概ね30分弱のペースで淡々と走る。
スタート/ゴール地点にほど近いところにドリンクや、おにぎりやパンを始め様々な補給食を用意してくれているメインのエイドステーション、北端の駐車場にほど近いところにドリンクとスナック菓子メインの補給食を用意してくれているサブのエイドステーションがあるので特にこだわりが無い限り手ぶら参加でも給水やエネルギー補給には苦労することがない。
エイド補給食あれこれ
ほぼ毎回カリカリ梅とプチトマトを食べていた
ドリンクは水、アクエリアス、コーラ、ファンタやオレンジジュース、麦茶、コーヒー牛乳やイチゴオレに至るまで多岐にわたり、補給食もおにぎりやアンパン、クリームパンだったりサンドイッチに加えてキュウリなどの生野菜や果物など、周回を重ねる毎に徐々に品目が変わってくる。去年タイミングが悪くて食べられなかったおそばとそうめん、いちごやメロンが食べられて上機嫌。
7周目に突入したところで右前方から一人のサイクリストがこちらに向かって走ってくるのが見えた。ロードバイクを見かけるたびに(知り合いだったりしないかな?)とか思いながら見ていたけれどさすがにそうそう知り合いに遭遇する訳もないのだけれど。
とはいえ長袖ジャージの右の袖がピンク色で(亀太郎(サイクリングサークル的集団)のジャージに似ているかな?)と思ってしばらく注視していたら、顔立ちがどう見ても黒スコットさんだったので声を掛けようかと思ったけれど、わたしの右隣にランナーがいたので声を掛けそびれてしまった。
そのまま7周目を終え、メインASで補給をしようと立ち寄ったらお久し振りのこーへー君の姿が。聞けば腹具合が思わしくなかったのでトイレでかなり時間をロスしてしまったのだとか。この時点でわたしが2周差を付けていたけれど、ここまで30分/周(=6分強/km)のペースなのだから時間内完走を目指すなら相当ペースアップしないと厳しいのでは。
加えて彼は翌日曜日に地元で開催される長野マラソンに参加するための前日エントリーを済ませなければならないので大宮発17時台の新幹線に乗らなければならないはず。
色々詰め込み過ぎじゃね?
スタート前は”70km走った翌日にフルマラソン走ったら恰好良いですよね!”と、意気揚々と語っていたのにしばらく経ったら”土日二日間でトータル100km走れたら(=ウルトラは57.8kmでDNF)立派ですよね!”となり、最終的には”二日連続でフルマラソンの距離走れたら(=ウルトラは42.2kmでDNF)充分ですよね”と、トーンダウンして行ったし。
とはいえなんだかんだ翌日のフルマラソンを完走する前提なのが可笑しいというか可愛い。若いからこそ許されるものって結構あったんだなあ、と自らを省みたり羨ましく感じたりしてしまうのはすっかり馬齢を重ねてしまったが故か。
”そういえばさっき黒スコットさんらしき人見かけたけど遭った?”
”遭いましたよ!A.埼玉のブルベを早々にDNFしてこっちに来たらしいですけれど、そのまま南の方に行っちゃいました。荒川沿いをポタしてお花でも撮っているんですかね?”
なるほど。
やはりさっきのは黒スコットさんだったか。
その後しばらくするとかなり南風が強くなってきた。
東岸はランで、西岸はランとウォーク半々くらいな感じでしばし二人で周ったけれど、再びこーへー君が離脱。次は一周で再会できたけれど、その時点で更に一周差がついてしまっていた。
大会に臨む際の体調管理大事!
前夜酒飲んでBD観ながら寝落ちしたわたしが言うのもどうかと思うが。
午後になると若干雲行きが怪しく
正午過ぎ頃まではやや弱めの北風ながら晴れ間がのぞいて気温が上がり、かなり汗をかく状況が続いたものの午後になって南寄りの強い風が吹くようになり、雲の色も濃くなって行った。
左は強風の中風に舞うゆりかもめ。
一部は夏羽に生え変わって顔が黒くなっているものもいた。
風に舞いながらも突風に煽られバランスを崩して危ういところで何とか着水なんておっちょこちょいなヤツも。
メインASからリスタートして早々、なんとなく脚に違和感が生じたのでこーへー君に先行するよう促し様子を見ながら早歩き。しばらくしたら違和感が解消されたのでランに切り換えて進んだ。
二つ目の坂を越えてしばらく進んだところで前方にこーへー君の後ろ姿を確認。
丁度それにタイミングを合わせたように南から北に向かってくる亀太郎ジャージの黒スコットさんの姿。
黒スコットさん撮影
三周差を付けているという無言ながらも大人げないアピールをしているおっさん。
黒スコットさんは、今やランドヌール(ズ)御用達となった感のある蕨駅前の台湾水餃子 江月に行って来たのだとか。
軽く雑談の後リスタート。
ところがメインASを過ぎたところでこーへー君がまたもや離脱。
そこからゴールまでは単独走行。
残り三周となった12周回終了時にタイムや周回数が表示されているディスプレイを見たとき、自分が残り周回数を一つ少なく勘違いして走っていることにようやく気が付いた。
(残り全部のんびり歩いても制限時間内にゴールできる♪)という甘い見通しを立てていたのだけれど、この時点で残り時間は二時間を切っていたのでそれが瓦解。
当然のことながら二時間で二周と二時間で三周では雲泥の差である。
慌ててペースアップしたものの、7分/kmくらいまでが精いっぱい。
とはいえ8.5分/kmで三周走れれば充分間に合うので焦らず淡々と進むことを心掛けた。
サブASを過ぎて13周目二個目の坂を登って下った時、正面の土手の上に見覚えのある姿のサイクリストが腰を下ろしているのに気が付いた。
よく見たらやっぱりAJたまがわスタッフのかとさんで、先方も気が付いたようで声を掛けて手を振ってくれた。
かとさん撮影
余裕なんか微塵も無かろうが余裕があるように振る舞うのが漢なのです、ええ。
残り三周の内二周を40分弱で走ることができたのでラスト一周に残された時間は約50分。
何とか完走できる見込みが立ったので安心して最後の周回へ。
最後の難所(?)管理橋を登って下って
ゴールタイムは8時間46分
制限時間は9時間59秒なので15分残しの結構なギリギリ隊。
ゴールで待ち構えてくれていたこーへー君と軽く遣り取り。
DNFはしたものの、9周走ったのでひとまずフルマラソン一本分は走ったとのこと。
スタート前に声を掛けてくれた聖整体院さんのブースの様子を伺いに行ったら撤収作業真っ最中で既にテントも畳まれていた。
”どうにかゴールできましたよ!”と、院長に声を掛けた。
”今なら施術できるけどやってく?”
”良いんですか?”
”有償(¥2,000-)だけどね。”
”お願いします!”
という訳でマッサージをしていただいた。
”相変わらずガチガチだねえ。”
と言われながらあちこち押されたり伸ばされたりしていてうめき声をあげていたところをこれからすぐに大宮に移動して新幹線で長野に向かうこーへー君が一枚撮ってくれた。
”怪しげな甘い声を出してる。”とこーへー君に言われた
”それじゃあお疲れ様です!”
と、去って行くこーへー君をうなり声混じりの言葉で送り出す。
かなり楽になったとはいえ走り込み不足で臨んだために筋肉痛で既に歩くのもままならない感じでよたよたと送迎バス乗り場に移動して待ち受けていたバスに乗り込む。
今年はお風呂に直行するバス便が無いとの事だったので一旦武蔵浦和から戸田公園まで移動してから昨年お邪魔した戸田温泉彩香の湯へ。
直行便が無くても結構な数のランナーが利用していた
のんびり温泉で身体をほぐしてから戸田公園駅に移動。
駅前でうろうろするのが面倒だったので駅ナカの日高屋で風呂上りビールを。
駅ナカで日高屋呑みができるとか天国かよ
すっかり満ち足りた気分で上り電車に乗り込み大崎から品川、京急線に乗って帰宅してなかなか長かったいち日の終わり。
昨年よりも15分ほど遅い記録となってしまったけれど、昨年よりも走り込み量が足らず身体が重たいままの状態だったのでむしろ上出来と言って良い。
小江戸大江戸をDNFしてしまったのでちょっとメンタル的には下降線だったところを何とか踏みとどまった感。
今年のウルトラマラソン予定はひとまずこの後野辺山があるのでそちらも完走できるよう、諸々上げて行かないといかんなと。
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【残念ながら】第8回 小江戸大江戸フットレース200K【再び負け越し】
2018.03.21 Wed 00:00 -edit-
<走行(歩行)ログ>
挨拶がわりに気が向いたら押してやってください。

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結論から言うとDNFでした。
小江戸区間終了後、大江戸区間に突入して夜の川越街道を東進していたのですが、5、6kmほど進んだところで脚がまったく回らなくなりまして。 一応自分なりのけじめとして川越市を抜けてふじみ野市に入ったところでやめました。
五回エントリーして二回完走、三回DNF。
昨年完走してようやく星を五分に戻したというのに再び負け越しの借金生活です。
以下延々と言い訳めいた備忘録。
五回目の参加となる今回は、今までの四回とは比較にならないくらいに事前練習ができておらず、スタート直前まで小江戸区間の91kmを走り切るのも怪しいのではないかと思っていたほどです。
昨年のこの大会を完走して以来、最も長い距離を走ったのが今年の青梅マラソン30kmでした。
それまで”今年の最長距離が先々週の青梅で30kmしか走れていねぇ!”なんてことをほたえていましたが、冷静に思い直してみたら昨年のこの大会以来全然長距離ランやっていなかったのだなあと。
昨年は完走一回DNF二回と負け越した状態だったのでそこでDNFをやらかしてしまったら五分に戻すまでに最低二年かかるし、当然ながら勝ち越すまでは三年以上かかってしまうという危機感があって小江戸大江戸前に山手線3/4周ランとか環七周回ナイトランとかやってそれなりに準備をしたにもかかわらず大江戸区間の後半では膝に痛みが生じてしまって大ブレーキ、辛うじて完走を果たしたといった体でした。
一応大江戸まで走り切ったと仮定すると日曜日の夜川越着、足腰のダメージは計り知れないだろうから翌日も使い物にならんだろうということで有給休暇を取得しておいて、協力業者さんに金曜午後と土曜日、月曜日のわたしの業務肩代わりを依頼したりして備えだけは万全な状態で一路東京へ。



小江戸区間終了後、大江戸区間に突入して夜の川越街道を東進していたのですが、5、6kmほど進んだところで脚がまったく回らなくなりまして。 一応自分なりのけじめとして川越市を抜けてふじみ野市に入ったところでやめました。
五回エントリーして二回完走、三回DNF。
昨年完走してようやく星を五分に戻したというのに再び負け越しの借金生活です。
以下延々と言い訳めいた備忘録。
五回目の参加となる今回は、今までの四回とは比較にならないくらいに事前練習ができておらず、スタート直前まで小江戸区間の91kmを走り切るのも怪しいのではないかと思っていたほどです。
昨年のこの大会を完走して以来、最も長い距離を走ったのが今年の青梅マラソン30kmでした。
それまで”今年の最長距離が先々週の青梅で30kmしか走れていねぇ!”なんてことをほたえていましたが、冷静に思い直してみたら昨年のこの大会以来全然長距離ランやっていなかったのだなあと。
昨年は完走一回DNF二回と負け越した状態だったのでそこでDNFをやらかしてしまったら五分に戻すまでに最低二年かかるし、当然ながら勝ち越すまでは三年以上かかってしまうという危機感があって小江戸大江戸前に山手線3/4周ランとか環七周回ナイトランとかやってそれなりに準備をしたにもかかわらず大江戸区間の後半では膝に痛みが生じてしまって大ブレーキ、辛うじて完走を果たしたといった体でした。
そんな昨年と比較して圧倒的に走り込み量が足りなかった今年はさすがに根拠のない自信が持ち味のわたしでもさすがに不安を覚える状況での参加となりました。
一応大江戸まで走り切ったと仮定すると日曜日の夜川越着、足腰のダメージは計り知れないだろうから翌日も使い物にならんだろうということで有給休暇を取得しておいて、協力業者さんに金曜午後と土曜日、月曜日のわたしの業務肩代わりを依頼したりして備えだけは万全な状態で一路東京へ。
久し振りの自宅であれこれ準備を始めたもののラン用のヘッ電やザックを宮城に持って行きっぱなしだったことを思い出したりして少々やる気が失せ、残りの用意は翌朝やればいいとフラグを立てた状態で就寝。
それでも翌朝は無事目覚めたものの、使用する予定でいたザックのファスナーが塩がみしてしまってまったく動かず。軽くシリコンスプレーを吹いたもののびくともしないので仕方なくワンショルダーのクーリエバッグを使うことにした。
思いの外すんなりと準備が整い、無事予定の電車に乗り込めた。
京急からJR山手線に乗り換えて座ってのんびりうとうと。。。したかったものの目の前にいたアマチュアバンドマンの大学生と思しき男二人がペラペラしゃべりまくっててうるさいことこの上なく、ロクに寝られなかった。
そんなこんなで京急線⇒JR山手線⇒東武東上線と乗り継いで、川越市駅に到着。
駅前の大きなスポーツセンター(だっけ?)の建物が解体されて更地になっていたので大きく雰囲気が変わった道をてくてく歩いてスタート地点の蓮馨寺へ。
わたしは遅刻参加だったので参加賞だけ貰った昨年9月の草レースで面識のできた千田さんがボランティアスタッフとして受付近くにいたのでご挨拶。
着替えと荷物預けを済ませた後、UTKKメンバーのよしみちゃんや守谷さんを発見し、こーへー君とも無事合流。
こーへー君とあれこれ会話しながらスタート時刻を待つ。
初参加の彼にあれこれ状況を教えてみたりペース配分を語ったり。
主催者側からのアナウンスがしばらく続き、定刻の8時丁度にスタートとなった。
”なかなか進まないんですね?”
ややそわそわした感じがしなくもないこーへー君に対し
”手首のICチップを読み取り機械にタッチしなきゃならんから結構時間かかるよ、5分か10分くらい差ができるんだけどタイムはネット値で計測してくれるから心配ないよ。”
”なるほど!”
こちとら一応は5回もこの場に立つなんちゃってベテラン勢なのだ。

10分弱ほど過ぎたところでスタート

スタート直後、小江戸川越
こーへー君と会話しながら概ね7分/km程度のペースで淡々と。
”去年完走された時はどのくらいのペースだったんですか?”
”第二AS付近で丁度正午頃だったから6.5~7分/kmくらいだったと思うよ。”
”じゃあ今のペースでばっちりですね!”
”オレ、今回は全然走れていないから半分行けるかも怪しい。。。”
スタート直後からホントに弱気。
”「二倍の法則」ってあるじゃん?それ考えたら青梅(30km)の二倍、60kmくらいまでは大丈夫だろうけれど小江戸で三倍だし大江戸まで含めたら七倍だからなあ。”
自分で書き起こしていても嫌になるくらい、ひたすらネガティブだった今年。
まあむべなるかなというところではあったけれど。
川島町付近
この道は昨年、AJたまがわのお試しブルベの際復路で使った道。
田んぼの中を走る
吉見町の桜堤
時折後方から走ってくるロードバイクにパスされる。
気温が低めだったのでまだ台数は少ない。
”あ、アレ!ぜっとさんとおんなじカラーリング(トリコロールカラー)のLAPIERREじゃね?”
”あ~~~ホントだ、あの色ってあんまり見かけませんよね。”
ひとしきり自転車(ブルベ)の話に興じてみたり。
第一AS到着
さとちゃんを見かけたので声を掛けた。
今年のUTMBにエントリーしている彼女はさすがに走り込み量が違う感じ。
荒川土手の菜の花
今年は例年と比較するとあんまり黄色が目立たないような気がした。
大雪降ったりしたからかね?
500mくらい先にマリオのコスプレ衣装で走るよしみちゃんの姿が見えたのでどうにか追い付こうと思ったけれど一向に距離が詰まらないまま。その手前にはさとちゃんの姿もあった。
裸足ランナーがいた
砂利道ではさすがに足裏が痛いらしく、ぴょこぴょこと。
この後再び見かけたとき(唐子ASだったかな?)ではわらじ(ワラーチに非ず、藁で編んだアレ)を履いていたのでさすがにしんどくなったのか。
どうにかこうにかペースを維持して第二ASには正午前に到着できた。
第二AS着、お味噌汁美味しかった
ここで既に「本年最長走破距離」達成である。走り込み足りなさすぎ。
さとちゃん、よしみちゃんと軽く雑談。
さとちゃんは気付いたらリスタートしていた。
よしみちゃんより先行して(いたらしい、この先で後ろから来たし)リスタート。
荒川大橋南詰から荒川土手へ
どうにかこうにか維持していたペースもついに落ち始めてしまった。
シューズの具合をちょっといじろうとして立ち止まったところで一旦気持ちが切れてしまい、対処が終わってからも走り出せずにしばらくとぼとぼ歩き始めた。
徐々にこーへー君の後ろ姿が小さくなって行く。
歩いたり走ったり、ボチボチ進んでいたところで後方から来たよしみちゃん、守谷さんに声を掛けられしばらく雑談しながら一緒に走る。
”あれ、朝一緒だった若い子(=こーへー君)はいないんですね。”
”ちょっと前に置いて行かれてしまいました。”
”後輩?部下?”
”いやいや、自転車つながりのコ。それはそうと今回知り合いのエントリー少ない感じだよね、さとちゃんはさっき見かけたけど。”
”みんな速いから前の方にいますよ。”
”いや、キクちゃんとか田村さんとかいないし。”
”あ~~~そうですねえ、ととろさん(=仮名、わたし)は接点無い人多いかも。”
”そう言えばさっきのエイドの手前までずっとそのよしみちゃんの衣装が前に見えていたけどずっと追い付けなくてさ。目立つよね、そのコス。”
”も~大失敗です。後悔してます。熱がこもってものすごく暑いんですよ!帽子なんか内張りもサテンだから熱が逃げなくて熱中症気味になったから被り続けるの諦めました!”
確かに端で見ているだけでも暑そうなのがわかる。
”ちょっとペース落とすんで先に行っててください!”
自販機で補給するよしみちゃん
残念ながらこの後次のASである淨恩寺でDNFしたそうなのでこれ以後遭わずじまい。翌日は大江戸区間で沿道応援に繰り出したそうなのでわたしが不甲斐なくなければあるいは、ねえ。
今回、いつも使っているザックではなくワンショルダーのクーリエバッグで走っていたのでストラップが首筋と擦れて若干違和感を生じるようになって来た。
すり傷になって痛みを生じ始めてからでは手遅れなので、幸いなことに気温が上がって来てからは使っていなかったネックウォーマーをショルダーストラップに巻いて首筋に直接当たらないよう対処。
少しでも気を散らそうと周囲をあれこれ眺めながら進む。
和算学者 藤田雄山貞資(ふじたゆうざんさだすけ)生家(の外塀)
数年前、秩父周辺が孤立してしまった大雪が降った時以降年々崩壊が進んでいて通りがかりの身としては痛々しくすら感じる。立派な石碑を建て「郷土の偉人」として持ち上げておきながら深谷市側が修復や修繕に動いているようにも見受けられないのはそのあたりの費用に関する所有者の負担の問題なのかもしれない。文化財等の登録に際し、時折耳目にする問題ではある。
路傍では梅がほころび始めていた
重忠橋で荒川左岸に渡ったところでコンビニ休憩。
ファミリーマート深谷田中店
AS2以降基本的にはずっと荒川土手を走るので自販機以外の補給ポイントが無いため、多くの参加者がここで補給したり休憩したりする。
昨年はここでクレイジーたむらとキクちゃんに追い付いたけれど今年はすっかりボロボロ、こーへー君の姿も見えなかった。
もうしばらく頑張れば淨恩寺ASなので水分だけを補給してリスタート。
しばらくはR140旧道、途中からバイパスへ。
なかなか単調で辛い区間。遠くまで見通せるからメンタル的にしんどい。
私設エイド 日本石産株式会社さま
毎年私設エイドを設営してくれているありがたいところ。
少なくとも五年前から毎年出してくれていてにこやかに対応してくれるおねーさんがすごく可愛いのでまた来年もお願いします!
ご恩返しはしたいもののエクステリア系の会社様なので業務上の接点はほぼ皆無だしプライベートでもマンション住まいだからなあ。。。
玉淀大橋を渡って再び荒川右岸へ
玉淀大橋
緩い勾配の下り坂を進んで側道に入ればようやく52km地点の淨恩寺。
撮影:緑鬼こと吉田さん
今回は選手としての参加ではなくボラスタッフとして参加の吉田さんに撮っていただいた一枚。しんどくてもカメラの前でだけはやせ我慢するのが美学です。
AS3 淨恩寺
関門時刻まではまだ一時間強あるのでまあまあ余裕。
ふと見るとお久し振りのこーへー君の姿が。
しばし言葉を交わした後、先着していた彼が先にリスタート。
わたしの方は補給食やスープ等をいただいてもう少しのんびり。
すると目の前の女性ボラスタッフの名札に書かれた名前になんとなく見覚えがある。
何年か前に途中までご一緒させていただいた野口さんだった。
”いつぞやは!今年も参加なんですね、頑張ってください!!”
被り物してるのが野口女史
千田さんにしても吉田さんにしても野口さんにしても
出走しなくても参加選手をフォローしようとボランティアスタッフとして名乗りを上げる人が多い。時に参加者、時に主催者(サイド)というのはブルベと非常に親和性の高いあり方だと思う。運営主体がNPO法人なのだから然るべくしてこういう形になってはいるのだけれど。
こーへー君に遅れること5分ほどで追っかけリスタート。
淨恩寺から先はしばらくアップダウンが続き、小江戸区間では一番しんどいと思っているところ。
それでもなんとなく脚が戻って来た感じがしてそこそこ快調に進む。
小江戸区間は走るのが五回目なのでコースの状況も概ね把握できているので気分的には楽。
ホンダの工場前を過ぎ、ピークとなるトンネルを潜りぬけた先で懐かしい背中を発見。
ようやく追いついた
軽くふたことみこと交わしてパス。
この先、唐子の交差点手前にあるワー○マンでヘッ電を購入する腹積もりがあったので少しでも先行しておきたい。
が、しばらく進んだところで脚が回らなくなってしまい徒歩に切り替え。
しばらく歩いては走り、走っては歩くというスローペースで進み、途中でトイレに立ち寄ったところで折角追い越したこーへー君に追い付かれてしまった。
しばらく進んだところで目当てのワーク○ンがあったので立ち寄り。
再びこーへー君に置いて行かれた。
初回参加時にもお世話になった○ークマンさん
無事ヘッ電を購入し、唐子ASに向かう。
想定(というか夢想)していた通過タイムより既に一時間くらい遅い。
昨年はどうにか明るい内にASに辿り着けたはずだけれど今年は真っ暗。

どうにかこうにか唐子ASに到着
先着していたこーへー君と言葉を交わす。
”ここから先9分/kmペースで行けたらどうにかギリギリで間に合うんですよね。”
そう言って残時間を確認して先にリスタートして行った。
唐子ASでうどんと「ひな祭りスィーツ」
この二つのために唐子まで辿り着いたと言っても過言ではない。
今年はうどんを二杯いただいてリスタート。
小江戸ゴールクローズ時刻は22時、小江戸大江戸の川越関門時刻は24時なので二時間猶予があるけれど、関門ギリギリに出たのではまず大江戸区間は走り切れないのは経験上理解している。できれば小江戸クローズ時刻までには川越に辿り着きたいと思っていた。
唐子を出てしばらくはそこそこ良いペースで走れた。
過去二回、ミスコースをしてしまっている区間を無事ノーミスでやり過ごし、県道354を淡々と。
”あの区間、将軍塚前を通るとき夜間だからひとりじゃ怖いんですよねえ、絶対何かいそう。”
そんな風に言っていたのは何年か前の野口さんだったか。
思いの外ペースが上がらずもどかしく思いながら進んでいたら信号待ちで後方から来た数人に追い付かれ、パスされた。ペースを確認すると8.5~9分/kmほど。
(このペースじゃこーへー君には追い付けないな。)
そんなことを考えながらR254バイパスに入り、相変わらず対向車のヘッドライトの光に眩惑されそうになったのでややうつむき加減にして被っていたキャップのツバで光を遮る。
多少は経験を積み重ねて来ているのである。
そんなこんなでだましだまし走っていたものの、唐突に終わりが訪れた。
圏央道川島ICを過ぎたところでいきなり脚が回らなくなってしまって走れなくなった。
以後は半ば以上歩き、時々小走りになる程度。
脚が戻って来てくれることを期待しつつ歩いて回復に努める。
心の中で呼吸に合わせて三歩ずつ歩数をカウントし、300歩走ったら目についた目標まで歩く、例えば電柱だったり道路標識だったり、を繰り返す。
そんなことを繰り返し、ようやく川越市街地へと向かう分岐。あと3kmで川越AS。
基本は歩き、ほんの時々走ったりで進む。
ようやく小江戸川越
川越AS到着
小江戸クローズ時刻から30分ほど遅れて川越ASに到着。
小江戸大江戸関門までは90分。
既にゴールしていたこーへー君を見つけて完走の労をねぎらい、整体マッサージの順番待ちをしつつ言葉を交わす。
そろそろ終電が近いので帰るという彼を見送りわたしはマッサージへ。
一昨年も昨年もお世話になった先生も受付の女史もすっかりわたしのことを覚えていて下さり軽いノリの会話で気分が和らぐ。
”今年はさとちゃん、順番待ちが結構かかるって聞いたとたんに「じゃあ行きます!」って颯爽とスタートして行っちゃったよ。”とは先生の弁。
今年も先生の施術にのた打ち回りながらどうにかこうにか復活した感。
とはいえDNFした一昨年もそんな感じだったけれど30分ほどで効果が切れたんだよなあ。。。
なんやかんやスタッフさんたちと軽口を交わしながらリスタート。
関門時刻までは45分といったところ。
夜の川越繁華街を行く
この区間を通るのは小江戸だけで継続をやめてしまった三年前を除く毎回の事なので今回で四回目。さすがにコースは覚えていると考えた心に隙があったに違いない。
気が付けばまったく見覚えの無いところをとぼとぼ歩いていたのであった。
どこで間違えたのか?素直に蓮馨寺まで引き返すべきなのか?
地図を引っ張り出し、現在位置と本来のコースを見比べる。
紆余曲折の後どうにかこうにかコースに復帰したものの、この時点ですっかり心が折れてしまっていた。
走ろうとしてもまったく脚が回らず、歩くのすら辛い。
それでも何とか川越市からは出て終わろうという、良くわからない目標を掲げてR254を南下。
ふじみ野市との市境を越えてDNF
川越市域を抜け、ふじみ野市に入ったところで今回の小江戸大江戸挑戦を終えることにし、蓮馨寺に向け引き返し始めた。ミスコースも含めスタートしてから丁度100kmほどのところ。
途中、タクシーでも拾えたら御の字と思いつつ歩いていたらスィーパーの三人組とすれ違った。
彼らにパスされた時点で止めても良かったかなとも思ったけれど、ミスコース中に先行されていたかも知れなかったのでスィーパーは待てなかった。
引き返し始めてからスィーパーに遭遇したのでDNFを決意した段階ではまだ辛うじてオンタイムだったと思うと少々心にわだかまりが無いとは言えないものの、現時点での自分の実力がこの程度なので甘んじて受け入れるしかない。
30分ほど歩いていたら、運よく空車タクシーを拾えたので川越駅前まで移動し、営業していた居酒屋で軽く飲み食いしてから蓮馨寺に赴き、預けてあった荷物を引き取ってから湯ゆうらんどでひと風呂浴びて今回の小江戸大江戸200Kフットレースの締めくくりとなった。
色々教訓の多い大会でした。
今年は現時点で彩湖の70kmと野辺山の100kmへのエントリーが決まっているのでとにかく気持ちを入れ替えて臨まないといかんなと。
それでもどうにかこうにか100kmまで到達できたのはそれなりの自信になっていたり。
まずは今年の野辺山を完走して対戦成績を五分に戻さないと。
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