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日記超。-改・弐-

  : 

自転車だったりマラソンだったりトライアスロンだったりお酒だったり。

2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-5/5(了)【遺物、遺構(日本軍-2)】 

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731部隊が発明した
当時世界最高水準の性能を誇った水ろ過装置
小笠原兵団司令部壕に残されている。

島内いたるところに地下壕が残り、あるものは通気口がふさがってしまって灼熱の壕となっていたり、またあるものは完全に埋まってしまっている。島の岩は大部分が脆く崩れやすく、故に手掘りでも壕が掘れたそうだが、翻ってそれは壕の内壁が崩れやすいということ。しかもあちこち地熱が猛烈に高く、気温が低いところでも30℃を下回るところはない。かつては色々な壕が繋がっていて現在ほど熱気がこもることは無かったらしいと伝わるものの、資料館に展示してあった当時の兵士や士官の書簡を見る限り地熱と吹き出す硫気には相当苦労したことが伺える。防毒マスクを着用しての高温下の作業なので実質5分程度しか壕掘削作業ができずに交代していたという記述もあった。先人の、並々ならぬ強靭な精神力と体力にはひたすら感服するしかない。


八八式七糎野戦高射砲(?)
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【ミリオンダラーホール】と呼ばれる旧噴火口※今年(=2012年)に入って水蒸気爆発を起こしたために周囲立ち入り禁止}にほど近い、千鳥ヶ浜の上に残る二つのトーチカ。銃眼の方向から考えて米軍の上陸作戦に対してはさほど役立てなかったと思う。故にそれほど損傷なく残っているのだろう。


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千鳥飛行場跡近くの航空機を利用したトーチカ
飛行できなくなった航空機を捨て型枠にして外側に鉄筋コンクリートを打設したトーチカ。機体が朽ちても日の丸の塗装がコンクリートに転写されている。


-粟津壕- 
粟津大尉率いる南地区隊、独立歩兵第309大隊の壕
【鎮魂の丘】付近の外周道路脇から地下を通って鎮魂の丘反対側に抜けられる(らしい)。比較的保存状態の良い壕らしいが中を覗いていないので何とも言えない。
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-最後の突撃壕-

小笠原兵団長の栗林中将が最後の突撃を行う前に滞在していたといわれる壕。歩兵第145連隊壕の一つと思われる。この壕を含め付近の壕から数百名の将兵が総攻撃を行い玉砕した。これをもって、硫黄島における組織的戦闘が終わったとされる。壕内には鉄兜や食器などが残されている。
平成19年に収容作業が行われ59柱の御遺骨が収容されている。
厚生労働省HPより


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壕入口
三箇所の入口が見えるが右の奥にもう一箇所入口がある。

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入口付近には鉄兜等の遺品が並び、水や線香を供えた形跡がある。
わたしたちも線香を炊き、水を供えてお騒がせすることを詫びたものの、この日は照明を持ち合わせていなかったし、何より興味本位で足を踏み入れることがはばかられたので表から覗き込むだけに留めた。

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壕周辺には銃弾があちこちに転がっていた

-南方空本部壕-
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入口は現滑走路の外周道路直下にあるのでヒューム管(土管)を通ってアクセスすることになる。

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地熱の高さのおかげでかなり高温になる壕が多い中、この壕の奥は島内で1、2を争う灼熱エリアである。奥まった場所にある斜めに上り勾配になっている通路を進むとある地点から先は熱気が【熱さ】ではなく【痛さ】と感じられてその場に留まることができない。まるで熱気が見えない壁となって立ちはだかっているかのようだった。発掘調査の際は自衛隊から耐熱スーツを借用して作業したそうである。壕内壁面には蒸着した銀(?)が付着してキラキラしている。
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調査済みの壕は外部への通路を見失わないよう、PPリボンテープのガイドが設置されている。熱気と湿気でピンボケ、灼熱部分は撮影できなかった。


-大釜-
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島北東部のジャングルの中にあった旧日本軍の炊事場。


-小笠原兵団司令部壕- 
【最期の突撃】まで栗林中将が指揮を行っていたとされる壕。
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中央にあるのは石井部隊(731部隊)が発明した、当時世界最高水準の能力を持つ水濾過装置。
硫黄島占領時、米軍が躍起になってこの機械を探したが結局見つからず、返還後の遺骨収集作業時に見つかったそうである。因みに機械の手前に写るウィスキーのボトルはつい最近供えられたものだそうで、当然封は切られていなかったにもかかわらずウィスキー自体は残り1~2cm程度まで減っている。供えた人曰く”やっぱり中将が飲みに来ていらっしゃるんだよ。”

余談ではあるが、石井(731)部隊の悪名(?)を世に知らしめた【悪魔の飽食】は、その根拠がどこの公文書にも記録が残っておらず、掲載された写真の一部が偽物であるということを森村氏自身も認めていて根拠のない、もしくは非常に根拠脆弱な著作であることが既に明らかになっているにもかかわらず未だに【石井部隊=人体実験部隊】という認識でいる人が多く、名誉回復が正しいかたちでなされていないのはどういうわけなのだと個人的には非常にもやもやする。
著者の森村誠一氏の他の著作自体は非常に好きだったので非常に残念である。


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司令部壕の中をぐるっと回って別の出口から出てみると、50mほど離れた医務科壕入口なのであった。ガイドがいなかったら絶対迷って出てこられなくなってる、こんなとこ。
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2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-4/5【遺物、遺構(米軍)】 

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島に行く前にネットで唯一見つけたのがこの
「立往生した(と思しき)シャーマン戦車」
なのでした。

島内には旧日本軍のモノだけでなく、米軍が置いていったものもかなりある。
元山飛行場跡には、かつて東京タワーを凌駕し日本国内で最も高い400m超の高さを誇った電波塔、ロランタワーの解体部品を始めスクラップ類が野積みにされているし、生憎見物するタイミングを逃したけれど現在の滑走路脇の窪地には米軍の遺棄車両が山積されているそうだ。
船舶が接岸できないために引き揚げるコストが膨大になってしまうことも大きな理由なのだそうである。


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一式機動四十七粍速射砲などと同じく某建設会社宿舎群入口付近に置かれているボーイングB-29のプロペラ及びエンジンの残骸。
スクラップ置き場にあったものを移動して展示しているらしい。
アルミ合金のプロペラ端部が腐食している。

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M4中戦車(通称シャーマン)
塹壕に嵌ってしまって身動きが取れなくなって放置されたものらしい。砲塔部分に覆帯を巻きつけ追加装甲としていたようである。

わたしにとって渡航前にネット検索で見かけたほぼ唯一の画像がこのシャーマンだった。
最初に見たときは草に埋もれていたのだけれど、この周辺を開削調査するために綺麗に草が刈られたので下部まですっきり。
覆帯は既になく、フェンダー(?)部分の腐食劣化も激しいので酸化防止のため(元々の追加装甲という情報も見かけたけれど、実際のところどうなんだろう?)にコンクリートで固めてある。
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元山飛行場跡奥と現在の滑走路の間のジャングルの中に放置されている米軍輸送機(B-24だとの情報をネットで拾ったが未確認)の残骸。 米軍占領下の時期に不時着したものらしい。
主翼と、その接合部付近の胴体のみが残る。

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北岸、金剛岩付近に放置されていた車両、バスの類か?

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北部落漂流木部落の間あたりの岩に描かれた壁画。
モチーフはあまりにも有名なピューリッツァー賞受賞のあの写真。
海兵隊員が描いたそうで、件の写真には6人が写っていたが、一人は不遇の死を遂げ、もうひとりはアルコール中毒が原因でこの世を去ったため不名誉との理由から残りの四人しか描かれていないらしい。
この四(六)人だけが特別に英雄視されるのを腹立たしく感じた米兵が銃を乱射したそうで、あちこちに弾痕らしき穴が見える。

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元山飛行場跡の建物。すっかり廃墟になっている。
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2023May24Wed

【工場萌えと】昼下がりのゆるポタ【夕暮れの富士】 

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ツィートでは思いっきりシリウスと勘違いした宵の明星
ひとみさんにご指摘を受けるまで全く気付かなかったのは
星の名前の取り違えだけではなく
うっすら水星も写っているということもなのでした。

<走行ログ:2020/02/10>

土曜日:日帰りスキーバスツアーで菅平高原。
日曜日:横浜市都筑区のインドアフィールドでサバゲ―

なかなか充実した週末を送りましたが、月曜日に休みを取って四連休とした後半二日間は基本的にダラダラ過ごすことに当初から決めておりまして。
月曜日はのんびり昼からポタリング。

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13時を回ってから出発

昼食を摂るべく向かった先の中華料理店は月曜日定休。
(祝祭日と重なったら営業するのではなかったか?)
お休みなのは自身が申請したからで、世間一般的には飛び石連休の平日なのであった。
気を取り直して近くのびっくりドンキーへ。期間限定メニューの「麻辣バーグライス」を注文。すると店員さんが”こちら、麻辣バーグライスご注文の方のためのお水です。”と、席に通された時に置かれたコップとは別にジョッキでお冷を持ってきた。
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でかい

(これはどれほど辛くて痺れる感じのハンバーグなのだろう!?)と、いやがうえにも期待が膨らむ。そしていよいよ供された「麻辣バーグライス(300g)」が目の前に。
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一瞬”ライスは?”って聞きそうになった

食べてみたらまあ「そこそこピリ辛なソースのかかったびっくりドンキー的には標準的な美味しさのハンバーグ乗せごはん」でしかなかったので非常に落胆させられてしまうことに。
お冷を余分に持って来たりしなかったらそこまで過度の期待をしなかったのに。モノ自体のお味は普通に美味しいレベルなので非常にもったいない。びっくりドンキーの関係者には猛省を促したい所存である。

その後、FOCUSを購入したショップ、SNELさんに立ち寄り注文してあったブレーキパッドの受け取り。その際にどれだけパッドが消耗しているのか確認しようということになってパッドを外して新品と比較してみたけれど、どうも減りは半分くらい。
パッドの当たり調整ねじはいっぱいになっているはずだったので初期不良かとおもいきや、調整ねじの締め込み方向がどうもマニュアルに記載されているそれと逆っぽいことが判明。なんだよSRAM!

ショップを後にしてさてどうしたもんかと多摩川土手に出て、取り敢えず大鳥居経由で東扇島にでも行ってみることに。

土手に上がったらカヤック(?)の練習をしていた。
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気持ちよさそう

自宅近傍を素通りして平和大鳥居へ。
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新車で訪れるのは久しぶり

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鳥居近くにいた猫にめっちゃ警戒される

一旦引き返すかたちで大師橋から多摩川右岸へ。
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斜張橋ラブ♪

そのまま右岸多摩サイを走って川崎側の「多摩川河口(標識がある)」まで行って、そのまま徒歩で潮位計測点まで歩いてみようと思ったら、ヨドバシのアッセンブリセンター手前から新橋梁建設のため通行止めになってしまっていた。予定工期は平成32年度内だから来春にはまた通れるようになるのかね?

仕方が無いのでその辺の工場を愛でつつ浮島界隈をうろうろ。
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工場萌え

浮島から一旦本土側に戻って南下、今度は東扇島へ。
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この海底人道トンネルの雰囲気が大好き

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東扇島・東公園

しばしのんびり飛行機や船を眺めて引き返す。
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トンネルはこの運河の下をまっすぐ抜ける

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夜光の辺りで目にした富士のシルエット

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こちらは自宅至近の河川敷から

一旦自宅を素通りして少し多摩川左岸を遡上。
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ラジオ日本の電波塔と富士、金星、水星

帰宅して着替えてから再度お出かけ。
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スノームーン翌日の十六夜の月が明るかった

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そしてメイヤー維持(笑)

そんなこんなでのんびり過ごしたいちにちでした。
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2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-3/5【遺物、遺構(日本軍-1/2)】 

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島に立ち入って初めて目にした大砲が
この摺鉢山14糎水平砲台だった

島内にはいたるところに戦争の遺物や遺構が残っていて、現在運用されている滑走路の下にも英霊の遺体が相当数眠っているらしいことがボーリング調査で明らかになったそうでもある。砲台や機関砲等の遺物が残るところはネットで検索すれば案外容易にわかるものだと昨日、今日で知った。行く前にきっちり下調べができればもっとメッシュ細かく網羅できたのだろうけれど、既に後の祭り。


島内の建設作業、維持管理作業、開削作業を行うために常駐している建設会社の宿舎群の敷地の外れに展示してあるあれこれ。
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形状から類推すると一式機動四十七粍速射砲っぽい。

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こちらは二連の九二式重機関銃か?


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摺鉢山14糎水平砲台(すりばちやま14せんちすいへいほうだい) 
約7mの砲身の迫力は満点。ライフリング(螺旋溝)もはっきり残っている。米軍上陸地点の翁浜や二ツ根浜が一望できる【要撃に最適な地】にある。硫黄島指令の栗林中将の元々の作戦はまず米軍を上陸させ、充分に引き付けて米軍が同士討ちを警戒して援護攻撃できなくなるよう敵味方の距離を無くした状態で打撃を与えるというものだったらしいが、米海軍艦船の上陸作戦前の掃海行動を上陸行動と勘違いした摺鉢山砲台が砲撃を開始してしまったために存在位置が察知され、艦砲射撃で叩かれてしまって【敵を引きつけてからの十字砲火】ができなくなってしまったために【勇み足砲台】とも呼ばれるらしい。


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硫黄島陸戦隊本部
第一御楯攻撃隊(神風特攻隊)出撃前夜の会議室でもある。分厚い鉄筋コンクリート構造。昔はここが資料室として活用されていたようで、その名残なのか表には大きな砲弾が屹立していて入口付近には仏像と小銃が置かれていた。

-現在の資料館-
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硫黄島の歴史を記した写真のパネル展示や、収集された遺品が置かれている。また硫黄島攻防戦や当時の歴史に関してのDVDが鑑賞できるようになっていて、それを観るだけでもなかなか充実した時間を過ごせる。


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八八式七糎野戦高射砲
元々ここにあったものではなく、地中に埋まっていたものを掘り出してここに据えたそうであるが、元山飛行場のすぐ脇なのでそうおかしくない場所に置かれているのだと思う。


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【北の鼻】にある『硫黄島最北端の機銃座』
形状は九二式重機関銃だと思われる。

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機銃座周辺には銃弾や薬莢、砲弾がゴロゴロ転がっている

<余談>
この【北の鼻】はGoogleMapsでも表示されるので行きたがる人が結構居るものの、大抵の人は道がわからず断念するのだそうだ。今回案内してくれた人がいたのでどうにかたどり着けたけれど、文字通り【道なき道】を軽四駆で突っ込んでいく様はまさにジャングルクルーズ。
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これでもまだかわいいくらい。
そこそこ太い木が生えている中に背の高い草だけの部分があって、よく見れば確かに道に思えなくもない…というところを構わずガンガン突っ込んでいくとその先が【北の鼻】
そりゃ普通の人(この島における「普通の人」の定義とは?)にはわからんですわなあ。
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2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-2/5【沈船群】 

2020.02.07 Fri 12:48  -edit-

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島の中で個人的に最も衝撃を受けた光景が
千鳥ヶ浜の沈船群だった。

 直前まで日常業務が慌ただしく、事前の予備知識をほとんど持たずにバタバタと渡航してしまったので、多数の地下壕が残り、今なお遺骨収集作業が続いている。また枕元に置いたコップの水が一晩で減ったり夜中に行軍する旧帝国軍兵士の姿が見えたりすることがあるということくらいしか知らなかった。到着初日の午後、宿舎と作業場所との往復用に借り受けた車で島内をうろついていたときこの沈船群が眼前に広がったとき、車に乗っていた四人全員が”『猿の惑星』のラストシーンみたいだ…。”と感じたものの、後日遅れて入島してきた20代の後輩社員に”『猿の惑星』みたいだろ?”と訊いたら”いや、その映画知らないです。”と言われてセンチメンタリズムを味わった傷つきやすいグラスハートを抱えた不惑のおっさん四人組なのであった。この沈船群、この場で座礁したものではなく、硫黄島占領後に米軍が桟橋を構築する意図でその基礎とするために廃船にコンクリートを詰めて沈めたもので、それでも作業中の地盤隆起が激しく結局は計画が頓挫してしまって放置されたものだそうである。そもそもこれらは当初海面下11mに沈められたものだというからその隆起速度の速さが伺える。 


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摺鉢山から沈船群を眺める。

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海水淡水化プラント取水口跡付近から。
※自衛隊が運用していた海水淡水化プラントの取水口も地盤隆起のために使い物にならなくなって放棄された。今現在は滑走路に降る雨水を溜池に貯留し、浄化して使っている。話によると東京水よりも更に高度に浄化されているのだとか。

<沈船群>
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波の浸食に耐えたエンジンの残骸
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大きさ比較のためにおっさんを並べてみました
『猿の惑星』というよりむしろ『天空の城ラピュタ』的なイメージ。

夕暮れどき
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もっとも好きだった時間帯 

ランニングで毎日そばを通過するのが楽しみでした。
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2023May23Tue

【2012年夏】南の島にて-1/5【ランニング三昧】 

2020.02.07 Fri 00:17  -edit-

業務上の都合で三週間の硫黄島出張。
自衛隊管轄で基本的に一般人が立ち入れない島なので、そこで見聞したものは厳密に言えば業務上知り得た秘密と言えなくもないのでできる限り差し障りの生じない範囲(と、わたし自身がジャッジしたものではあるけれど)でちょこちょこ公開してみようかと。


日常のルーティン。
※二週目頃のもの、一週目は夕方のランニングもAコースが主体。
3:45~ 起床、ランニング(硫黄島Aコース)、シャワー 
5:00~ 朝食、仮眠
6:30~ 業務開始
11:00~ 昼食、昼寝
12:30~ 業務
17:00~ 夕食
17:30~ ランニング(硫黄島Cコース)、入浴、ビール、焼酎
21時~22時頃 就寝
元々今回の出張中はどうせ走ることくらいしかできなかろうと、月間走行距離目標を300kmとしていたので15~20km/日くらいのペースで走る気でいたのだけれど、6:30~17:00という業務スケジュールにどうやって走る時間を組み込むかが意外とネックだった。
居住区以外は当然のように街灯なんか無かったので、うっかりヘッドランプを持参しなかった今回は夜間のダート路面は走りたくない。
それでも月明かり、星明りを頼りにすればうっすらコースを確認できるので、早朝や夕暮れ後でも大丈夫な舗装路面のみを走るコースを設定したのがAコース。

Aコース:一周約8km
※これは試走の時のもの、実際には時計回りに走っていた。

半分以上がダート路面な島外周道路を周回するコースをBコースと(勝手に)命名。 

Bコース:一周約16.5km

当初は朝晩共Aコースを走っていたのだけれど、17時半頃にスタートすれば硫黄島西端部の釜岩で夕日を眺めることが可能なことがわかって夕方は釜岩まで走るようになった。
当初は単純に往復していたのだけれど(約9km)最終的にはAコースに釜岩往復を加えた形のCコースとなった。

 Cコース:一周約14km

BコースとCコースでは距離は2.5kmしか違わないものの、ダート路面と北側のアップダウンが地味にきついので距離の差以上に疲労度が違う。


コース上のあれこれ。
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釜岩に向かう途中、ウグイス地獄と呼ばれる噴火口の脇を抜ける坂道。 
不同隆起が激しいところで路面のあちこちに段差がある。
水平に茶色い線が見えるのはここが断層になっているためで、断層部分はアスファルト路面が完全に段差となってしまっているので鋼板を敷いて車両の通行を行っている。
現在、海運物資の荷役は釜岩付近で行っているのでこの道が走行できなくなると非常に問題。

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釜岩付近から摺鉢山を眺める。 
摺鉢山は米軍が上陸した際、星条旗を立てた山。
波打ち際に並んでいるのはかつて米軍が波止場として利用するためにコンクリートで固めて沈めた艦船の残骸。
隆起速度が早すぎて結局使い物にならなくなってしまったので放置されたそうである。

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釜岩付近から井戸ヶ浜を眺める。
かつては海の底だった砂地で古い地図には釜岩は単独で沖合に浮かぶ岩礁と描かれている。
年間20~30cmという世界的にもあまり例のない速度で隆起を続けている、まさに【生きた島】
白く見えるのは【平和祈念墓地公園】建造物。

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夕暮れ時の釜岩。
三週間の滞在中、後半はかなりうねりが高く豪快に波しぶきが立っていました。
毎日【水平線に沈む夕日】を見たくて通った釜岩でしたが、デジカメも携帯電話も持たずに出たたった一日以外は水平線近くに雲があって思いかなわず。
代わりに(?)東の空にはうっすらあかね色に染まった空に満月に近い月。
タイミングってのは得てしてそういうものですね。

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千鳥ヶ浜(沈船海岸)付近

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外周道路から摺鉢山への分岐。
摺鉢山は道路が整備されていて頂上まで車で行けるようになっているものの、路面の劣化が激しいため現在では車両進入禁止とされているが、徒歩なら問題なし。 
※部隊の人たちの方は進入禁止扱いになっているのかどうだかわからない。離島の日に航空機搭乗待合ロビーに自衛官向けの注意書きが掲示されていたけれど、そこには『段差が大きいので通行注意』と書かれていた。

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硫黄島島民平和祈念墓地公園
戦争中、軍属として亡くなった島民を悼むために元々島民墓地だったところに建てられた。
かつては目の前がすぐ海だったはずだけれど現在では広々とした井戸ヶ浜の砂地が広がる。

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外周道路から漂流木海岸方向を見る。
漂流木海岸は近年の噴火活動に伴い道路が損壊していて立ち入り禁止。
まぁ漂流木海岸に限らずあっちもこっちも噴火しちゃっていますけれど。

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島北東部、東山周辺の外周道路
細かく続くアップダウンが地味にきつい
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2023May23Tue

出張報告www (2012/10/09-12) 

2020.02.04 Tue 17:35  -edit-

※タイトルにある通り10年前のサルベージエントリです。
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「世界にここだけ」
大砲の砲身に突き刺さった状態の不発弾

10月9日から12日までの四日間、再び【南の島】への出張に行ってまいりました。
短期間なので生活リズムが【島時間】に合わせられるかどうかが非常に心配でしたが、蓋を開けばなんの事はない
島に降り立てば身体が勝手にリズムを思い出しておりました。
二日目~四日目は3時45分頃起床、4時頃から滑走路外周を走ってからシャワーを浴びて5時~6時までの間に朝食。


滑走路外周の走行ログ。

6時30分から業務を開始して二日目は16時に終業、三日目は昼前に終業、四日目は離島の準備だけなので朝8時頃から飛行機に搭乗するために移動する11時頃までフリー。
そのため前回三週間滞在して一回しか走れなかった外周道路を三日間みっちり走り込むことができました。
…なにしに行ったのか? 




島一周を二日目、三日目は時計回り、四日目は反時計回りに走ってみたけれど、反時計回りの方が圧倒的に厳しいことが判明。
摺鉢山への登山口分岐からゴールまでの約4kmが若干の下りはあるもののひたすら登りっぱなし。
それまでに12km走った身には若干荷が勝ち気味な坂道。
それでも眺め的には反時計回りの方が良いかもしれない。
各々反時計回りの時に撮った画像。

 
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左:北西部、漂流木海岸付近。海に向かって下ってゆく坂道。 
中:南西部、ウグイス地獄から摺鉢山に向かって走る。
右:南東部、摺鉢山から北東に向かう道。


前回の出張が終わってから色々とネットサーフをして情報収集をしてみたところ、意外なほど見逃していたスポットが多かったことを思い知らされた。
とはいえロクな装備も案内者もないまま地下壕に入るのは自殺行為だし迷惑千万なので壕内立ち入りは諦め、新規に訪れたのは三箇所、大阪山砲台と翁浜のトーチカ、及び翁浜そのもの。 

<大阪山15糎砲台>
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前回訪問時に見た【摺鉢山14糎水平砲台】よりも1センチ口径が大きい。
おそらくは当時配属された島内最大の砲。
実際に見渡してみたら摺鉢山を中心に千鳥ヶ浜、二ツ根浜、翁浜が一望できる位置にあり、上陸部隊の迎撃にはこの上なく好適な配置だっただろうなという感想。



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砲内のライフリング(螺旋溝)

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おそらくは世界中でここにしかない
大砲の砲身に突き刺さった状態の不発弾。 
当時の激戦の程が伺える戦跡の一つ。
平成8年に発見されたというのだから思いの外新しい。


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翁浜及び翁浜トーチカ
【日米兵士再会の碑】(文字通り、戦後に日米の生存兵がこの地で再会したことを記念した碑)のすぐ下、外周道路からもその姿の頂部が伺えるトーチカ。浜側には朽ちた機銃座もある。

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火炎放射器の高温に晒され、
砲身が曲がってしまった機関砲。
70年経った今でもあちこち黒焦げになった部分が残っていた。

上陸作戦初日に約三万人の米兵が上陸したという海岸。
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左:翁浜 / 右:二ツ根浜
映画『硫黄島からの手紙』で渡辺謙が歩いたところ。


以上、今回の報告終わりwww
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2023May24Wed

【パンク2.5回】2月最初のコマワリキッチンライド【心に優しくないゆるふわ】 

2020.02.02 Sun 18:59  -edit-

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軽くポタしてお茶するだけのつもりでいたら
パンク頻発で心を削られてしまった休日。
一応タイヤは持ち帰って来たけれど
どう見ても原因がわからんので破棄するか。

そこそこ良い感じに酔っ払って帰宅して、自宅で更に飲みなおしを始めた金曜日のから一夜明け、午前中はダラダラと洗濯を済ませたりしながら過ごしてから軽く自転車に乗ろうとFOCUSのブレーキ調整。
実は前週の館山若潮マラソン参加時に前ブレーキレバーの遊びが大きくなりすぎていていっぱいまで握り込まないとブレーキが効かなくなってきてしまっていたので遊び調整を…と思い、マニュアルを参照しつつ調整ねじをいじってみたけれど一向に症状が改善されない。
SRAMのコンポは初めてではないものの油圧ディスクブレーキは初めてだから全くの素人だし、ここは変に悩むよりショップに持ち込んだ方が早い、ということでショップ(SNEL)立ち寄り後にそのままポタに出られるよう準備して出発。

ショップ店主スワさんに状況を説明して現認してもらう。
”あ~~~。これパッドが減っているからかも知れないですね。”
”マジ?これまだ5、600kmしか乗っていないのにもうパッド交換必要になるの?年間10セットは使うことになるんじゃね?あ、後ろもあるから15セットか。”
基本的に装備類が重たくなる400km以上はジェームスくんで走るつもりでいるのでブルべでの見込み走行距離を半分と仮定して大体年間5,000~7,500kmくらいの走行が見込まれるので単純計算でそのくらい必要になる。
AXS用のパッドの在庫が無いということなので取り寄せを依頼してお店をおいとま。走りながら色々思い浮かべたけれど、走行距離はなんだかんだで納車後1,000kmくらいはあった。それでもちょっと早すぎる消耗である気がするけれどなあ。次回以降パッドのメーカーを変えてみる予定なのでそれで様子見。

ショップから多摩川土手に出てのんびり多摩川大橋まで。天気が良かったので富士山が見えるかと思ったけれど生憎雲に阻まれ叶わず。
源八うどんでやや遅めの昼食。
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かけうどん(大)・鶏しそ巻き天+半熟卵天

14時半くらいになったので東長崎の純喫茶マダナイ@コマワリキッチンを指して移動。1時間ほどで到着する予定でのんびり走り出し、第二京浜国道から山手通りに入ってひたすら北上。若干向かい風気味だったものの日差しが暖かくて気持ちよかった。

暫く快調に進んでいたけれど甲州街道付近で後輪に違和感。恐る恐る触ってみると案の定パンクしていた。チューブ交換しようと思ったものの、よく考えてみたら3週間前の【鎌倉300】の際にも後輪がパンクして新品のチューブを入れたばかりなので場合によったら自分では把握できない原因によって再発した可能性が捨てきれない。(ここはお金をかけてでもプロに見てもらおう。)と考え、マップで周囲を検索したところ、徒歩15分ほどのところにショップがあったのでそちらにお邪魔して状況と、プロの目で確認願いたい旨伝達。

チューブを外してみたら、穴はサイドに空いていたのでタイヤビードをはめる際、タイヤレバーで傷をつけたのではないかとのこと。(下田手前で復旧した時レバー使ったかな?)
交換用チューブは携行していたものの、万が一を考えると新品を調達しておきたいのでそのショップの在庫を見てもらったらバルブ長が足りないものしかない。わたしが携行している予備には手を付けたくなかったので帰宅してから新品に入れ替えることにしてパッチ当てで対応していただくようお願いして対処。

対処の済んだ後輪を嵌め、状況をチェックしてみたら明らかに圧が下がっていたので再び後輪を外し、チューブを取り出してみたらパッチ当てした部分が既に剥離してしまっていた。どうもチューブが細すぎてうまく貼れなかったらしい。
”申し訳ないけど持っている新品に入れ替えてもらうしかないね。”と店主に言われ、更に”パンク修理でお金貰っちゃったからボクがチューブ交換するよ。”と言ってくれた。
新品を手渡し装着して再度エアを注入。今度こそ。
(人当たりの良い店主だったから時間は無駄になったけれどお店に陳列してある自転車も眺められて楽しかったからまあ良いか。)そんなことを考えつつ走っていたらなんと再び後輪に違和感。
何と新品チューブに交換して10分走ったかどうかというところで再びパンク。

マジか?プロに任せてこれか!?

日が傾いて空気が冷たくなって来て気持ちが萎えかけ、輪行袋を持っていなかったのでそこでタクシーでも捕まえて引き返そうかとも思ったけれど、ちょうど目と鼻の先に自転車ショップがあったので、再びプロにお願いしようと思い、細かく状況を説明。具体的に店名は明かさなかったけれど直前にショップでチューブ交換してもらったにもかかわらずパンクしてしまったので原因チェックも併せてお願いしたい旨を伝達したら、休日で混みあってしまっていて手を付けられるのは早くて一時間半ほど先のことになると言われてしまったので自分で作業をすることに。
店先にあるフロアポンプも自由に使わせていただけるということなのでチューブ二本と念のためにタイヤも購入してタイヤとチューブを一式交換してリスタート。

今度はどうにかノートラブルで東長崎コマワリキッチン到着は17時丁度くらい。
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予定より一時間半遅れ

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チングワとイチゴのマフィンをいただきました
閉店の18時までお邪魔してから帰宅。

帰路は単純往復では面白くないので方南通りを西進して環七を南下、駒沢のせたが屋でラーメンを食べてから帰宅。
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せたが屋ラーメン

<実走行ログ:2020/02/01>


帰宅後は冷えた身体を暖めるために銭湯へ。
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メイヤーキープの照の湯
メンタルダメージの大きないち日なのでありました。
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