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日記超。-改・弐-

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-0001Nov30Wed

『アジア』 

映画『アラビアのロレンス』といえば
アカデミー賞主要7部門を独占したことで知られる文句なしの傑作映画であるとともに
三時間を超える超大作ぶりでも有名で、2~3年前に完全版DVDが発売されたりもしましたが
”いつかはちゃんと鑑賞しよう。”
・・・とか思いつつもその長尺ゆえに敬遠しっぱなしだったりするわたしです。

この手のモノが好みだった亡父につられて
子供の頃にTVで放映されたのを観たきりなので、おぼろげながら記憶に残っているシーンといえば
ラスト近くでアラブ人達の連帯が決裂してひとり残されたロレンスに対してアラブ人の友人(?)が
”自分はアラブのために戦う!”的台詞を投げかけて去っていったところとか
『乗り手を失ったトライアンフ(英国製単車)』くらいなのですが
そのうち時間を作ってじっくり鑑賞してみたいなあ と、改めて。

ロレンスの中東構想図発見 英博物館で展示へ
ソース:Sankei Web

ロレンスの中東構想図発見 英博物館で展示へ

 第1次世界大戦で英国の対アラブ工作員として活躍し、映画「アラビアのロレンス」で知られるトーマス・エドワード・ロレンスが大戦後の1918年に中東地域の領土分割構想を自ら書き記した地図が見つかり、14日からロンドンの帝国戦争博物館で展示されることになった。

 ロレンスがアラブの民族自決運動に共鳴していたことは知られているが、領土問題で本人の具体的な考えを示す資料はこれまでなかった。

 ロレンスの構想は、現在のイラク領土をクルド人の多い北部とアラブ人の多い南部に2分割することを提案。また、現在のシリア、ヨルダン、サウジアラビアの一部にまたがる広大な土地をアラブ人の支配領土とし、現在のシリアとトルコの国境付近にはアルメニア人の領土をつくることを主張している。

 構想は現地の英植民地当局の反対を受け、政府はこれらの地域を大戦後にフランスとともに分割することを最終的に決定。ロレンスの提案が実現することはなかった。

 同博物館のウィルソン歴史顧問は「ロレンスの提案は帝国主義的な領土分割を行った(英仏による)サイクス・ピコ協定に比べ、はるかに優れたものだ」と述べた。

 英紙タイムズによると、この地図は英公文書館に保管されていたが、これまで日の目を見ることがなかったという。

 ■アラビアのロレンス 英国の探検家、考古学者、軍人だったトーマス・エドワード・ロレンス(1888―1935)の通称。第1次世界大戦開戦後、英陸軍情報将校としてカイロに派遣され、オスマン・トルコ帝国の支配下にあったアラブ人の反乱を指導、独立運動を支援したことから「アラビアのロレンス」として知られる。終戦後の21年に英植民相のアラブ関係顧問に就任したが、アラブ国家独立の約束を果たさない英国に失望し翌年辞任。35年交通事故で死亡した。その半生はデビッド・リーン監督が62年に映画化、俳優ピーター・オトゥールがロレンス役を演じた。

(共同)

(10/13 10:05)


中東各国の国境線の多くが定規で引かれたようにまっすぐなのは
英仏による領土分割の際、まさしく机上で地図に境界線を引いていたからで
コレはあくまでも二国の権益のための分割で、
当然その地に住まう民族の分布などの諸要素はお構いなし。
そのためイラク北部とトルコ南部にまたがる地域に存在するクルド族は現在でも『国家を持たざる民族』として弾圧の対象にされてしまったり分離独立運動に基づくテロルの頻発に繋がったりしているし、自国の権益の確保のため仏との二国間の『サイクス・ピコ協定』のほかに『フサイン-マクマホン書簡(アラブに対し第一次大戦後にアラブ国家建設を英国が約束)』『バルフォア宣言(パレスチナの地においてユダヤ人を第一義的存在と位置付ける)』などのおのおの矛盾する政策を打ち出した英国の姿勢に振り回された結果がいまだに平和的解決が遠いと言われるパレスチナ問題な訳で。

『アジア』というと『極東反日三国(支那・南北朝鮮)』の事しか念頭に無い硬直思考な左巻きメディアのおかげでどうしても忘れてしまいがちではあるけれど、中近東だってしっかりと『アジアの一部』なのですよね。
三国を想定して『アジア』って用語を使用するのはいいかげんやめて欲しいと切に思いますが
『特定アジア』って呼称もあったけどWikiじゃ既に削除一歩手前だしなあ。

ここのところ、いわゆる『靖国問題』
何の法的拘束力も持たない、単なる裁判官の独り言の吐露でしかない『傍論』を根拠にやたらと自虐史観を煽る左巻きな方々があちこちで跋扈していたりしますが

西欧諸国のアジアへの関わり
日本に対しての過剰とも言える圧力
そうした諸々が『自衛戦争としての大東亜/太平洋戦争』に繋がったという見解も日本国内外を問わず決して少数派ではないし
そもそも靖国問題の中核をなす『A級戦犯』を断罪した『東京裁判』というものが、果たして『裁判』と称するにふさわしかったのか。
その法的根拠が当時でもこんにちでもいかに脆弱極まりないものであったのか。

こうした根幹部分には一切スルーなんだよねえ。
そんなに日本が嫌いなら日本にいなけりゃ良いのにさ。
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