出張報告www (2012/10/09-12)
2020.02.04 Tue 17:35 -edit-
※タイトルにある通り10年前のサルベージエントリです。
「世界にここだけ」
大砲の砲身に突き刺さった状態の不発弾
短期間なので生活リズムが【島時間】に合わせられるかどうかが非常に心配でしたが、蓋を開けばなんの事はない
島に降り立てば身体が勝手にリズムを思い出しておりました。
二日目~四日目は3時45分頃起床、4時頃から滑走路外周を走ってからシャワーを浴びて5時~6時までの間に朝食。
滑走路外周の走行ログ。
6時30分から業務を開始して二日目は16時に終業、三日目は昼前に終業、四日目は離島の準備だけなので朝8時頃から飛行機に搭乗するために移動する11時頃までフリー。
そのため前回三週間滞在して一回しか走れなかった外周道路を三日間みっちり走り込むことができました。
…なにしに行ったのか?
島一周を二日目、三日目は時計回り、四日目は反時計回りに走ってみたけれど、反時計回りの方が圧倒的に厳しいことが判明。
摺鉢山への登山口分岐からゴールまでの約4kmが若干の下りはあるもののひたすら登りっぱなし。
それまでに12km走った身には若干荷が勝ち気味な坂道。
それでも眺め的には反時計回りの方が良いかもしれない。
各々反時計回りの時に撮った画像。
左:北西部、漂流木海岸付近。海に向かって下ってゆく坂道。
中:南西部、ウグイス地獄から摺鉢山に向かって走る。
右:南東部、摺鉢山から北東に向かう道。
前回の出張が終わってから色々とネットサーフをして情報収集をしてみたところ、意外なほど見逃していたスポットが多かったことを思い知らされた。
とはいえロクな装備も案内者もないまま地下壕に入るのは自殺行為だし迷惑千万なので壕内立ち入りは諦め、新規に訪れたのは三箇所、大阪山砲台と翁浜のトーチカ、及び翁浜そのもの。
前回の出張が終わってから色々とネットサーフをして情報収集をしてみたところ、意外なほど見逃していたスポットが多かったことを思い知らされた。
とはいえロクな装備も案内者もないまま地下壕に入るのは自殺行為だし迷惑千万なので壕内立ち入りは諦め、新規に訪れたのは三箇所、大阪山砲台と翁浜のトーチカ、及び翁浜そのもの。
<大阪山15糎砲台>
前回訪問時に見た【摺鉢山14糎水平砲台】よりも1センチ口径が大きい。
おそらくは当時配属された島内最大の砲。
実際に見渡してみたら摺鉢山を中心に千鳥ヶ浜、二ツ根浜、翁浜が一望できる位置にあり、上陸部隊の迎撃にはこの上なく好適な配置だっただろうなという感想。
おそらくは当時配属された島内最大の砲。
実際に見渡してみたら摺鉢山を中心に千鳥ヶ浜、二ツ根浜、翁浜が一望できる位置にあり、上陸部隊の迎撃にはこの上なく好適な配置だっただろうなという感想。
砲内のライフリング(螺旋溝)
おそらくは世界中でここにしかない
大砲の砲身に突き刺さった状態の不発弾。
当時の激戦の程が伺える戦跡の一つ。
平成8年に発見されたというのだから思いの外新しい。
平成8年に発見されたというのだから思いの外新しい。
翁浜及び翁浜トーチカ
【日米兵士再会の碑】(文字通り、戦後に日米の生存兵がこの地で再会したことを記念した碑)のすぐ下、外周道路からもその姿の頂部が伺えるトーチカ。浜側には朽ちた機銃座もある。
火炎放射器の高温に晒され、
砲身が曲がってしまった機関砲。
70年経った今でもあちこち黒焦げになった部分が残っていた。
上陸作戦初日に約三万人の米兵が上陸したという海岸。
左:翁浜 / 右:二ツ根浜
映画『硫黄島からの手紙』で渡辺謙が歩いたところ。
以上、今回の報告終わりwww
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